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サイトにあげるまでもないSSおきば
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 上品な白い磁器から湯気が立ちのぼる。
 透き通った緑の茶からは、清々しい葉の香りがした。紅の芳醇さとはまた違う、生きた植物に近い香りを、ラルフは好んでいた。
 梁が剥き出しの、木と紙でできた家も。そこに住む、老木のような男のことも。
 ──今の自分が、この場に似合わないスーツ姿でいることが、心苦しいくらいには。
「さて、この老いぼれになんの用か、そろそろ訊かせてもらおうか」
 ラルフの向かいに座る男は、火箸で囲炉裏の炭を転がしながら口火を切った。
 その目に光が入っているのか、外目には判別がつかない。色が抜けて白く濁り、どこにも焦点は合っていないはずなのだが、火箸は迷いなく炭を動かし、空気が入るように調節を終えている。
 火箸を置き、寒そうに羽織りの前を合わせる動作まで、暗闇の中に生きる者とは思えない滑らかさだ。
 ラルフは磁器を囲炉裏を囲う板に置いた。
「月のこと、お耳に入っていらっしゃいませんか」
 吸い込んだ空気に含まれたいぐさの香りに押され、若い頃のようにラルフは問う。
 ほぉ、と高く声を出した老爺の前で、ざわりと心が波立つのも懐かしい感覚だ。答えの分かりきった、簡単な問いをラルフが口にするたびに、老人はその声をあげるのだった。
「のっぺらぼうになっちまった以外に、お月さんになにかあったかね?」
「……その件です。先生」
「なァんだ。そんなもの、見りゃあ分かるとも」
 肩を揺らして笑う老人に、ラルフは眉を寄せて複雑な表情を浮かべる。
 濁った片目はどう見てもラルフの背後の桐たんすに向いているし、もう片方は老人に似合わない黒い革の眼帯で覆われていた。
 ただ──老人の言葉に、およそ間違いはない。
「しっかし、センセイだなんて呼ばれたのは久々だなぁ」
 そう言って梁を見上げる老爺の背後。
 開け放たれた障子の向こうには、まっさらになった月が浮かんでいた。
 そこには蟹も、ドレスをまとった貴婦人も、餅をつく兎もいない。
 クレーターの影を失った月は、まさに『のっぺらぼう』だった。
「あなたが仕事をお辞めになったとしても、私はあなたの弟子ですよ」
「お前なんざもう弟子じゃねぇ。立派な退魔師になった男に、センセイと呼ばれる筋合いはねぇよ」
 乱暴に突き放す言い方は、老爺なりの激励なのだろうか。
 ラルフが修行を終え、この屋敷を出るときも、似たようなことを言われていた。
 昔を思い出して笑むラルフに気恥ずかしくなったのか、老爺は落ち着かない様子で自分の前に置かれた茶器に手を伸ばす。
 ずず、と音を立ててすすり、おおげさに息をはいてから、言葉を継ぐ。
「で……おれが仕事を辞めたのは分かってて、なんでこんな田舎まで?」
「最後になるかもしれませんので、ご挨拶に」
 自分でも驚くほど平坦な声が出て、ラルフは内心で困惑した。
 かっ、と喉を鳴らした老爺が苦々しく口を歪めるのも無理はない。
「まるで死ににいくやつみてぇな言葉だな」
「しかし」
「あァ、そうだなあ。お月さんがのっぺらぼうになっちまった後には、決まって現役の退魔師が半分以下になっちまう。──あァ、おれのときは酷かったとも。生き残ったのは、たしか百人に一人……」
 下を向いた老爺が思い出しているのは、その惨状だろうか。
 それとも、共に生き延びて、その後死に別れてしまった同胞のことか。
「……今、何人だ。戦えるのは」
「なんとか寄せ集めても、千人程度かと」
「…………」
 老爺は背を丸め、ため息をついて首を振る。
 そのまま黙して動かないときが続き、ラルフは居心地悪く茶に口をつけた。あれほど香っていた茶の味がしない。
 死を意識した、せいだろうか。
 退魔師を危険のない仕事とは間違っても言えないが、ラルフは平時であればまず間違いは起こさない域に到達している。
 ただ、陰の存在である月が影をなくし、世界のバランスが崩れてしまったときだけは、いかに熟練の退魔師であろうと死は近付いてくる。
 戦争、なのだ。
 広く、深い意味での、「魔」との。
「足りんな。なにもかも」
 ようやく、老爺は言葉少なくそう言った。
「はい。今回はしのげても、退魔師の存続は不可能でしょう」
「あァ、そうだな。人も足りん。だが、なにより足りんのは光だ」
「は──?」
 ラルフが意味を掴み損ねていると、老爺の枯れ木のような指はスーツの袖を示した。
 見下ろしたそこには、かがり火の意匠を刻んだカフスボタン。闇を照らし、魔を祓う、退魔師の証があった。
「お月さんの影を取り戻すのに、かがり火では足りん」
 ばっさりと、老爺は言い捨てた。
 かつて退魔師として戦い、魔との大戦を生き延びた男の放った言葉を、信じられない気持ちでラルフは耳にした。
 退魔師は、この証を己が矜持として、魔を退けてきたのではなかったか。
「それは、かがり火は人の力だ。限界がある。このちっぽけな体で、あのでかいお月さんとやりあおうって言うなら、数を揃えるか、外から力を借りるしかないだろう」
 その口調は、ラルフに退魔のすべを教えたときと同じだった。
 厳しくもまっすぐな言葉で、老爺は事実を突きつける。
「今から動いても数は揃わず、力を借りるのもタダではない。あァ、だがなぁ、お前を亡くすのは、惜しい。だから、お前には目を焼く苦しみを受け入れさせなきゃあならん」
「目、を──?」
「お月さんに影を作っているのは、誰だ?」
 困惑するラルフへ、老爺はなぞなぞのように問う。
 しかし、そこに曲がりくねった表現はない。まっすぐ、そのままの意味で、老爺は言葉を継いだ。
「人の目なんざ見ただけで焼きつぶす、触れてはならない輝きとやら。近付きすぎて地に落とされた英雄も、大昔、どこかの国にいたそうじゃあないか」
 枯れた手が持ち上がり、黒い眼帯に親指を差し込んだ。
 そのままためらいなくめくりあげた場所には、焼けて動かなくなった瞼と、薄く開いた隙間から覗く眼球。
「お天道様だ。その輝きを、目に宿してみせんのよ」
 老爺は、歯の少ない口元でにやりと笑む。
 ラルフの背が粟立つほどの凄味を見せる男は、老爺というより歴戦の戦士の方がよほど近い。
 呆然とするラルフの前で、老爺は眼帯を戻す。
「なに、お天道様も鬼じゃない。慈悲はあるとも。おれの目は世界を見ることはできないが、お天道様に照らされてる。光は失うが、同じくらい得られると保障してやらァ。だから──訊くのは、たったひとつ」
 老爺はそう言って立ちあがると、広く開いた袖に左右の手を突っ込み、まっすぐにラルフを見下ろした。
 白く濁った目の向こう側には、影のない月が浮かぶ。
「己が目を焼く覚悟はあるか?」




お題 前兆・囲炉裏・カフス @todomaguro0 より
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プロフィール
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射月アキラ
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自己紹介:
一次創作・オリジナルなファンタジー小説書き。
普段はサイトで好き勝手書き散らしているが、そこでページ作るのもめんどいと思ったらこっちで好き勝手書き散らす。短い話はだいたいこっちに投げられる。
褒めても喜びけなしても喜ぶ特殊体質。
ついった:@itukiakira_guri
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