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サイトにあげるまでもないSSおきば
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 上品な白い磁器から湯気が立ちのぼる。
 透き通った緑の茶からは、清々しい葉の香りがした。紅の芳醇さとはまた違う、生きた植物に近い香りを、ラルフは好んでいた。
 梁が剥き出しの、木と紙でできた家も。そこに住む、老木のような男のことも。
 ──今の自分が、この場に似合わないスーツ姿でいることが、心苦しいくらいには。
「さて、この老いぼれになんの用か、そろそろ訊かせてもらおうか」
 ラルフの向かいに座る男は、火箸で囲炉裏の炭を転がしながら口火を切った。
 その目に光が入っているのか、外目には判別がつかない。色が抜けて白く濁り、どこにも焦点は合っていないはずなのだが、火箸は迷いなく炭を動かし、空気が入るように調節を終えている。
 火箸を置き、寒そうに羽織りの前を合わせる動作まで、暗闇の中に生きる者とは思えない滑らかさだ。
 ラルフは磁器を囲炉裏を囲う板に置いた。
「月のこと、お耳に入っていらっしゃいませんか」
 吸い込んだ空気に含まれたいぐさの香りに押され、若い頃のようにラルフは問う。
 ほぉ、と高く声を出した老爺の前で、ざわりと心が波立つのも懐かしい感覚だ。答えの分かりきった、簡単な問いをラルフが口にするたびに、老人はその声をあげるのだった。
「のっぺらぼうになっちまった以外に、お月さんになにかあったかね?」
「……その件です。先生」
「なァんだ。そんなもの、見りゃあ分かるとも」
 肩を揺らして笑う老人に、ラルフは眉を寄せて複雑な表情を浮かべる。
 濁った片目はどう見てもラルフの背後の桐たんすに向いているし、もう片方は老人に似合わない黒い革の眼帯で覆われていた。
 ただ──老人の言葉に、およそ間違いはない。
「しっかし、センセイだなんて呼ばれたのは久々だなぁ」
 そう言って梁を見上げる老爺の背後。
 開け放たれた障子の向こうには、まっさらになった月が浮かんでいた。
 そこには蟹も、ドレスをまとった貴婦人も、餅をつく兎もいない。
 クレーターの影を失った月は、まさに『のっぺらぼう』だった。
「あなたが仕事をお辞めになったとしても、私はあなたの弟子ですよ」
「お前なんざもう弟子じゃねぇ。立派な退魔師になった男に、センセイと呼ばれる筋合いはねぇよ」
 乱暴に突き放す言い方は、老爺なりの激励なのだろうか。
 ラルフが修行を終え、この屋敷を出るときも、似たようなことを言われていた。
 昔を思い出して笑むラルフに気恥ずかしくなったのか、老爺は落ち着かない様子で自分の前に置かれた茶器に手を伸ばす。
 ずず、と音を立ててすすり、おおげさに息をはいてから、言葉を継ぐ。
「で……おれが仕事を辞めたのは分かってて、なんでこんな田舎まで?」
「最後になるかもしれませんので、ご挨拶に」
 自分でも驚くほど平坦な声が出て、ラルフは内心で困惑した。
 かっ、と喉を鳴らした老爺が苦々しく口を歪めるのも無理はない。
「まるで死ににいくやつみてぇな言葉だな」
「しかし」
「あァ、そうだなあ。お月さんがのっぺらぼうになっちまった後には、決まって現役の退魔師が半分以下になっちまう。──あァ、おれのときは酷かったとも。生き残ったのは、たしか百人に一人……」
 下を向いた老爺が思い出しているのは、その惨状だろうか。
 それとも、共に生き延びて、その後死に別れてしまった同胞のことか。
「……今、何人だ。戦えるのは」
「なんとか寄せ集めても、千人程度かと」
「…………」
 老爺は背を丸め、ため息をついて首を振る。
 そのまま黙して動かないときが続き、ラルフは居心地悪く茶に口をつけた。あれほど香っていた茶の味がしない。
 死を意識した、せいだろうか。
 退魔師を危険のない仕事とは間違っても言えないが、ラルフは平時であればまず間違いは起こさない域に到達している。
 ただ、陰の存在である月が影をなくし、世界のバランスが崩れてしまったときだけは、いかに熟練の退魔師であろうと死は近付いてくる。
 戦争、なのだ。
 広く、深い意味での、「魔」との。
「足りんな。なにもかも」
 ようやく、老爺は言葉少なくそう言った。
「はい。今回はしのげても、退魔師の存続は不可能でしょう」
「あァ、そうだな。人も足りん。だが、なにより足りんのは光だ」
「は──?」
 ラルフが意味を掴み損ねていると、老爺の枯れ木のような指はスーツの袖を示した。
 見下ろしたそこには、かがり火の意匠を刻んだカフスボタン。闇を照らし、魔を祓う、退魔師の証があった。
「お月さんの影を取り戻すのに、かがり火では足りん」
 ばっさりと、老爺は言い捨てた。
 かつて退魔師として戦い、魔との大戦を生き延びた男の放った言葉を、信じられない気持ちでラルフは耳にした。
 退魔師は、この証を己が矜持として、魔を退けてきたのではなかったか。
「それは、かがり火は人の力だ。限界がある。このちっぽけな体で、あのでかいお月さんとやりあおうって言うなら、数を揃えるか、外から力を借りるしかないだろう」
 その口調は、ラルフに退魔のすべを教えたときと同じだった。
 厳しくもまっすぐな言葉で、老爺は事実を突きつける。
「今から動いても数は揃わず、力を借りるのもタダではない。あァ、だがなぁ、お前を亡くすのは、惜しい。だから、お前には目を焼く苦しみを受け入れさせなきゃあならん」
「目、を──?」
「お月さんに影を作っているのは、誰だ?」
 困惑するラルフへ、老爺はなぞなぞのように問う。
 しかし、そこに曲がりくねった表現はない。まっすぐ、そのままの意味で、老爺は言葉を継いだ。
「人の目なんざ見ただけで焼きつぶす、触れてはならない輝きとやら。近付きすぎて地に落とされた英雄も、大昔、どこかの国にいたそうじゃあないか」
 枯れた手が持ち上がり、黒い眼帯に親指を差し込んだ。
 そのままためらいなくめくりあげた場所には、焼けて動かなくなった瞼と、薄く開いた隙間から覗く眼球。
「お天道様だ。その輝きを、目に宿してみせんのよ」
 老爺は、歯の少ない口元でにやりと笑む。
 ラルフの背が粟立つほどの凄味を見せる男は、老爺というより歴戦の戦士の方がよほど近い。
 呆然とするラルフの前で、老爺は眼帯を戻す。
「なに、お天道様も鬼じゃない。慈悲はあるとも。おれの目は世界を見ることはできないが、お天道様に照らされてる。光は失うが、同じくらい得られると保障してやらァ。だから──訊くのは、たったひとつ」
 老爺はそう言って立ちあがると、広く開いた袖に左右の手を突っ込み、まっすぐにラルフを見下ろした。
 白く濁った目の向こう側には、影のない月が浮かぶ。
「己が目を焼く覚悟はあるか?」




お題 前兆・囲炉裏・カフス @todomaguro0 より
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 ひどい雨だった。
 本当にこれだけの水が空の上にあったのか、と疑問を抱いてしまうくらいだ。粒の大きな雨が、絶え間なく降り注いでくる。
 おかげで視界はすこぶる悪い。
 落下の途中から、地面で弾けて流れるまで。雨粒は、視界のノイズとして充分すぎるほどに役割を果たしている。雨自体は色を持っていないはずなのに、街がうっすら白く染まっているようにすら見えてくる。
 目元に当たるはずだった雨粒を避けるという一点に限れば、気休めにかぶったフードは意外にも健闘していた。
 とはいえ、こんな日が外出に向くはずもない。もちろん、雨の中を出歩いているのにはしっかりとした理由がある。
 端的に言えば仕事だ。
 気が向かないが、必須の。
 人通りのない道を歩きながら、懐から愛銃を取り出す。続けて銃口に消音機をつけ、安全装置を外せば準備は完了。
 重苦しい金属色が雨に濡れる。
 誰かから銘を聞いた気もしたが、とっくに忘れた。
 撃ち出せる弾丸の口径さえ覚えていれば、別に不便はない。
 指定の路地を曲がる前に、建物の陰で足を止めた。
 地面に目をやると、流れる水の中にうっすら赤がにじんでいる。
 果たして、それが敵と味方とどちらのものなのか──疑問を抱く間などない。
 敵のものならば、自分が呼ばれる理由がないのだから。
 通りへ銃口を向けながら、角を曲がる。
 赤かった。
 建物の外壁や地面に飛び散った赤が、叩きつける雨で薄められながら流れていく。
 それは血の川のようで、事実、流れているのは大量の血液だった。
 なら、地面に落ちた赤黒い肉片は、死体か。
 肉と骨と内臓と毛髪と衣服と銃が、全てバラバラになってあちらこちらに散らばっている。
 雨の影響か、目に飛び込んでくる情報に対して、ただよう血の匂いが薄すぎる。気味の悪さすら感じてしまうほどに。
 そんな死地の中。唯一立っている人影は、小さく、細い。
「あれぇ? まだ生きてたの?」
 舌足らずな口調も、高い声音も、主の幼さを確定させるに十分だった。
 路地裏に立っていたのは、一人の幼い娘だ。飛び散った血肉にひるむ様子もない。それどころか、向けられた銃口を嘲るような口調で言葉を継ぐ。
「いっぺんに殺されちゃえばよかったのに」
 ぱしゃり、と娘の長靴が水溜まりを蹴った。
 血混じりの雨水が、転がった鉄塊の上に落ちる。銃のグリップに見えるそれには、元は手であっただろう肉の塊と、骨のかけらがこびりついている。
 娘が持っているのは、閉じたままの傘だ。骨が一本だけ外側に折れているせいで、中に大量の雨水が入り込んでいる。
 雨に降られるまま、濡れた髪の毛は高い位置の二つ結び。その下に、青い石のピアスを付けた、尖った耳が生えている。
 ──エルフ族。
 自分が呼び出されている時点で分かりきっていたが、尖った耳を視認した途端、体に緊張が走った。
 細く息を吐いて、半分ほど緩める。
「ふぅん。死なないつもりなんだ」
 呆れた、とでも言うような口調で、娘は言う。
 銃口が向けられている、という事実など、娘の感情を動かすに足るものではないらしかった。とはいえ、雨に濡れた路面に転がる肉と鉄の塊を見れば、それも頷ける。
 音速で飛ぶ弾丸程度、娘の駆使する「技術」にとっては脅威にならない。
 故に、娘が骨の折れた傘を回して、順手に持ち直してもトリガーは引かなかった。
 今は攻撃のときではない。
 銃を持った人間を大勢殺した、その上なにをしてくるのかも分からない相手に、先手必勝など通じるはずもない。
 極度に集中した視覚が、雨の中に動く影を捉えた。
 娘のそれではない。
 背丈は倍。大の大人が、娘の背後に現れ、銃口を向ける。
 生き残りか──と、影の正体を悟ると同時、体を動かしたのは本能染みた危機感だった。
「〈私は奪う〉」
 やかましい雨音と、自らの足が蹴立てる水音の隙間で、高い娘の声がした。
 娘が振り向きざまに向けた傘の先は、狙いすましたかのように銃口にぴたりと重なる。傘の中に溜まっていた雨水が、まとめて路面に落ちて破裂した。
 視界から外れるように動いたせいで、娘の表情をうかがい知ることはできない。
 代わりに、死を予感したらしい生き残りの男が、体を引きつらせて震えるさまは、嫌味なくらい鮮明に映る。
 尖った耳で、青い石が輝いた。
「〈雨粒が落ちゆく未来を私は奪う。水滴は刃となり、汝の災いとなれ〉」
 娘が言葉を紡ぎ切った途端、人体が炸裂した。
 皮膚が一瞬で裏返ってしまったような、赤い血と肉の露出。死体の一部が飛び散って、ようやく男を襲ったものが見えるようになった。
 氷の棘。
 幾度も枝分かれして肉体の内側から食い散らかす死の棘が、男のいた後に残されていた。
 それも数秒。支えのない氷は自重で崩れ、娘と傘だけが残る。
「魔学も理解できないおバカさんが」
 ぐるり、と振り返った娘は、見開いた目でこちらを捉える。
 被った血や肉は、空から降り注ぐ雨で流れ落ちていくところだった。
「あたしに勝てると思ってんのぉ?」
 続いて、傘が振り回される。
 その先端が狙いを定める前に、銃口を下に向けて地面を蹴る。
「〈私は奪う〉」
 枝分かれして襲いくる氷の棘が、頬をかすめていった。
 切り傷からわずかに血が流れるものの、命中と言えるほどではない。
 人体に刺さるはずだった棘は、中空にわずかに留まり、無色のまま路面に叩きつけられた。
「な……」
 娘の驚愕は、こちらが体勢を立て直すのに十分な隙を作る。
「……んで……! なんで生きて……!」
 そして、隙をみすみす見逃す理由は、こちらにはない。
 ようやく攻勢に出るときが来た。引き金を絞る。
 戸惑うばかりの娘の右耳で、赤が散った。
 甲高い悲鳴。傘を取り落として耳を抑える娘に構わず、もう一発。今度は左耳のピアスを吹き飛ばす。
 狙いを違えたわけではない。元より、こちらには殺意など微塵もないのだから。
「ひ……ぐ……あんた、石、分かって……!?」
「魔学者なんざ、この町じゃ珍しくもないからな」
 銃口は娘へ向けたまま、ゆっくりと歩み寄る。
 あっけないほど、簡単だった。
 まださほど世界を知らない魔学者など、この程度のものだ。
 魔学──触媒の未来を奪う技術を極める中途に立ち、また歳が若ければ若いほど、自分を全能だと思いがちだ。
 それをわずかでも揺るがしてしまえば、致命的な動揺は簡単に引き出せる。
 もっとも、世間知らず相手にしか通じない手ではあるが。
「安心しろ、依頼は殺しじゃない」
 耳を押さえる娘の喉が引きつって、短い悲鳴が漏れる。
 死よりも恐ろしいものがあることくらいは、知っているらしい。
「首領は町で暴れる魔学者の生け捕りを望んでいる。言い訳か、取引でも考えておくんだな」
 扉を開けると、室内とは思えないほど濃厚な土と植物の香りがした。
 陰鬱な気分になってしまうのは、ほとんど条件反射のようなものだった。オクルスは後ろ手に扉を閉めながら、周囲に目を向ける。
 見晴らしはよくない。そこらじゅうに置かれた植物は好き勝手に枝や蔦を伸ばし、屋内にいながら森よりも密度の高い緑を作り出していた。外からの光を効率的に取り込む構造になっているから、暗闇に視界を奪われないことが救いだ。
 無言のまま、オクルスは部屋の奥に歩を進める。
 障害になるのは、床置きや吊り下げなど、様々な形状の植木鉢。それらを避けて辿り着いた目的地には、作業場に置かれているような木製机があった。
 机に向かっていた白衣の背中が振り返る。
「珍しい客だな」
 白い髪に反して、声は若い。肌の色は青みがかった濃い灰色で、顔から年齢を判別するのは難しかった。
 もっとも、オクルスが彼について個人的なことを推測する理由などないのだが。
「今度は誰の使いだ? ……あぁ、いや、言わなくていい。用件だけ聞こう」
 それは白衣の男も同じようだった。素っ気なく言って、右目につけた片眼鏡を押さえる。その奥の瞳は色素が飛んでいて、男は前髪を下ろして右目を隠した。
 オクルスは気にせず会話を継ぐ。
「占いを」
「はぁ? それは本人がここに来なければ意味がないとあれだけ」
 白衣の男はそこで一度言葉を切った。
 そして、信じられないものを見るような目をオクルスに向ける。
「まさかお前に占いが必要なのか?」
「えぇ、まぁ──そういうことになるのでしょうね」
 オクルスは歯切れ悪く答える。
 とはいえ、自分自身が強く望んでここに来ているわけでもない。ほとんど強要されて来ているのだから、そう答えるしかないのが現状だった。
 そんな返答からなにかを察したのか、白衣の男はゆるりと腕を組んで目を細める。
「へぇ、そりゃ面白い。面白すぎてやる気も出ないな」
「それは残念です。首領からの推薦だったのですが、あなたがそうおっしゃるなら他を」
「首領が絡んでいるなら先に言え。いいぞ、いくらでも占ってやる」
「……魔植学の創始者ヴィルヘルムといえど、首領には弱いのですね。悲しいものです」
「なに、魔面学の最後の一人ほどでもない。と言いたいところだが、新興魔学には研究費用が必要でね。パトロンには実際弱い」
 白衣の男──ヴィルヘルムは自嘲するように言って肩をすくめた。
「で、なにを占う? 恋の行方か? それとも結婚相手でも探すか?」
「助手になりえる人間を」
「なんだ、地味だな」
「華やかであればいい、とでも?」
 つまらなそうに言うヴィルヘルムに対し、オクルスはため息を返す。
 相変わらず乗り気ではなさそうだが、ヴィルヘルムは作業机の引き出しから大判の冊子を取り出した。日にやけて変色した紙を開くと、最初のページにはヨーロッパを中心とした世界地図が載っている。
 閉じようとする地図の端へ適当に手近なものを乗せながら、ヴィルヘルムはオクルスの問いに答える。
「当然だ。花占いの本領は恋人探し、というか縁結びに特化したものだからな。だからまさか人間嫌いのお前を占うことになるとは思わなかった」
「……」
「ま、同情はしておこう。どうせ助手を持つのも周りがうるさいからじゃないのか? 魔面学なら無理矢理『使役』できるだろうが、可能な限り相性のいいやつを見つけてやりたいものだ」
「個人的には、死体を操ってしまうのが手っ取り早くて楽なのですが」
「それは助手どころか使い魔以下の捨て駒だろうが。頭一つで体二つを動かすのは手間だろう? 助手の利点は一定レベルの自律性だ。持てば分かる」
 オクルスは再びため息を返すしかない。
 一人での活動に慣れてしまったせいか、他人に介入されることにいささか以上の抵抗があるのは確かだった。ましてや『人間』など、本来ならば敵対者であっても視界に入れたくない。
 とはいえ、首領の言葉を無下にできないのはオクルスも同じだった。本心は表に出さず、言葉を濁す。
「そんなものでしょうかね」
「そんなものだ。さて、では花を選んでもらおうか」
「花?」
 地図を完全に開き終えたヴィルヘルムが、視線でオクルスの背後を指す。
 オクルスが振り返った先には、部屋の入口がどこにあったか分からなくなるほど密集した植木鉢と植物たちが溢れ返っている。一部は確かに花をつけていて、その色も種類も様々だ。
「適当に、直感でかまわない。目についたものを言ってみろ」
 思わず三度目のため息をつこうとして、オクルスは呼吸を飲み込んだ。
 可能な限り、手早く終わらせよう──占いも、助手探しも。そして、助手とうまくいかなければ、理由をつけて処分してしまえばいい。それで終わりだ。
 目についたのは、小ぶりな赤い花。
「では、それを」
「ほう」
 指で示すと、ヴィルヘルムは意外そうな顔をした。
 オクルスがその真意を問う間もなく、魔植学者はごまかすように儀式を開始する。
 植木鉢に歩み寄り、赤い花の一輪を摘まむと、詠唱が始まる。
「〈私は奪う。花が種となり、新たな命を芽吹かせる未来を私は奪う〉」
 オクルスは、想う。
 ──魔学とは略奪の技術だ。
 奪うのは未来の可能性。魔学という学問の根底には、本来たどるべき未来を都合よく歪めるという傲慢な思想がある。
「〈花は与えられた名に従い、意味に従い、求めるものへ道を示せ〉」
 灰色の指が花を摘み取る。
 オクルスが黙したまま見つめる先で、ヴィルヘルムは赤い花を持って作業机へ戻る。地図の中央に花を置くと、茶色くなった紙の上に赤がよく映えた。
 しばらく留まった花は、ふわりと浮いてプロペラのように緩やかな回転を始める。花弁を羽のようにして宙を滑る赤い花は、地図上をまっすぐ東へ。ユーラシア大陸を越えて極東の島国で止まる。
「随分、遠い」
 オクルスが愚痴るようにこぼすと、ヴィルヘルムは軽く肩をすくめた。
「俺が示せるのは行き先だけ。行くか行かないかは自由だ。行った方がいいとは思うがね」
「あなたがそこまで言うとは珍しいですね。なにかあるのですか?」
「本当に行く気があるなら教えるさ」
 口元だけで笑い、ヴィルヘルムは花を軽く払って地図の上から移動させた。
 バラバラとページを繰って、再び机の上に地図を広げる。今度は極東の島国、日本の地図だ。
 ヴィルヘルムが指で示すと、赤い花は再び地図の上へ。首都東京の近辺で止まる。
「飛行機に乗ればすぐだ。よかったな」
「すぐ、と言えるようなフライト時間になるかどうかは疑問ですね」
「首領が出してくれるだろう。プライベートジェットとか」
「……それは気の抜けない時間をすごせそうですね」
「で、行くのか?」
 ヴィルヘルムが指で地図を叩くと、赤い花は宙に浮いてオクルスの元へ飛ぶ。
 以降はこの花が直接道しるべになる、ということなのだろう。ヴィルヘルムは役目を終えたとばかりに地図をたたみ、引き出しへ戻す。
「首領の勧めですから」
「そうか。それなら見送ってやろう」
 もう一度、今度は出入り口に向けて、ヴィルヘルムは払うような動作をする。
 すると、視界を阻む蔦や枝がひとりでに動き、トンネルのような通り道を作り出す。先行するヴィルヘルムを赤い花が追い、その後ろからオクルスが続いた。
「なるほど、ここの植物はすべて使い魔ですか」
「そんなところだ。文字通り、間引かれた同輩を糧とした特別製さ」
「随分いい趣味ですね」
「『魔学の発展のためなら』。……ってね」
 不遜に、しかし冷徹に、大げさな口調でヴィルヘルムは言う。
「首領の言葉ですか」
「おや、分かったのか」
「口調はともかく、いかにも言いそうな内容です」
 白衣の肩が揺れる。
 押し殺した笑みをこぼしながら、ヴィルヘルムは出入り口の扉を開く。オクルスが入ってきたときに比べれば、かなり通りやすい復路だった。
 促され、オクルスは部屋の外へ。森の中から急に市街地へ出たような空気の変化を受け止めていると、オクルスの前に浮いていたはずの赤い花がヴィルヘルムの元へ移動していた。
 その花弁に、灰色の指が触れる。
「お前の主はそいつだ。しっかり役目を果たせ」
 言葉に応えるように、花はオクルスの元へ移動。胸ポケットに収まった。
 ターコイズブルーのテールコートに、赤く小ぶりな花はどう見ても不釣り合いだった。
「あぁ、そういえば。その花だが、名をゼラニウムという。大切にしてやれ。それと、とびきり大事なことが一つ──そいつが持っている花言葉だが」
 ヴィルヘルムは意味深に言葉を区切り、こらえきれないように笑みを浮かべた。
「『君ありて幸福』、だ。運命的な出会いを約束しよう。よい旅を」
 呆気にとられるオクルスの前で、木製の扉が閉められる。
 馬鹿馬鹿しい。最後のため息をついたオクルスに対し、ゼラニウムの花はくるりと上機嫌に一回転して沈黙した。
 十一月末。町の外へ出て人を探すには、あまりに騒がしい時期のことだった。


短編『仮面劇 MASQUE』前日譚
NOX

「ノックス覚醒まで残り五分」

 平坦な女の声を聞きながら、レクレスは荒れ果てた市街地に突入した。

 極限まで抑えられたバイクのエンジン音は、風にかき消され、ヘルメットに遮断されて聞こえない。ただ、腰から伝わる振動からして、これ以上の速度が出せないことは明らかだった。

 かつて住宅街だった場所は、すでに廃棄されて久しい。

 管理されていない道のひび割れや瓦礫を考慮すると、現在の速度を出すだけでも十分危険な行為だった。

「眠り姫のお目覚めまでに間に合うかねぇ?」

 レクレスが問うと、ヘルメットのスピーカーから即座に返答。

「まず不可能でしょう。ノックスは眷属持ちです。交戦準備を」

「やれやれ、まずは取り巻きからか」

 嘆息混じりに言ったレクレスの視界で、鮮やかな赤が光る。

 フルフェイスヘルメットの内側に表示されたのは、廃墟の中の熱源反応──ドラゴン・ノックスの眷属たちの反応だ。

 反応は一つに留まらない。レクレスが道を進むにつれて、赤は次々と数を増やしていく。それが十五を超えたところで、赤色は一斉に姿を消した。搭載されたAIが、熱源反応の表示機能を切ったのだ。

 視界に残されたのは、相変わらずの廃墟群。

「手厚い歓迎だな」

 言いざま、レクレスは右手を腰の後ろへ。

 ホルスターに収めていた銃を抜く。

 同時、住宅を破壊して現れた一頭を皮切りに、次々と眷属たちが立ち塞がった。

 翼の生えた蛇の姿をした眷属は、まっすぐレクレスへ向かって突進。彼我の距離は急激に縮まっていく。

 その毒牙が届く前に、レクレスの右手が引き金を引いた。

 熱を排する白煙と共に、熱線が射出される。

 狙いを違えるようなヘマはしない。大きく開かれた眷属の口の中に吸い込まれたエネルギー弾は、体内を焼き尽くして消失。眷属は力を失ってレクレスの後方へ墜落する。

 屠った屍に目もくれず、レクレスの意識は次の標的へ。

 際限なく現れる眷属にエネルギー弾を撃ち続ける。

「覚醒まで三分」

「ノックスちゃんのアラーム止めといてくれよ、ダスク」

「いくら私が有能な人工知能でも、そのような機能はありません」

「だよなぁ」

 銃が吐き出す白煙の尾を引きながら、レクレスは荒れた道を走る。

 周囲の建物は徐々に高さを増し、居住よりも商業の色が強くなっていた。朽ち果て、植物が這った看板があちこちに落ちている。

 永らく打ち捨てられた、人間の生活の痕。しかし感傷に浸る暇はない。眷属たちはそれらを蹴散らし、休みなくレクレスに襲いかかってくる。

「ったく……邪魔、すんな!」

 連続でトリガーを引いた銃身から、大量の白煙が噴出する。

 周囲の眷属を一掃して、レクレスは視線を上に向けた。

 遠く、ひときわ高い建物の先端に、巨大な影が居座っていた。

 オブジェと言うには生々しく、禍々しい。

 それは、四肢と翼を丸め、深い眠りについた漆黒のドラゴン──ノックスだ。

 全身を縛る鎖が、胸元に固定された時計に繋がっている。

 針が指す時刻は一一時五九分。

 とはいえ、時計が表す時刻は現実のそれではない。

 ノックスの時計が一一時五九分を指したのが確認されたのは、今からおよそ一週間前なのだから。

「残り三十秒」

 ダスクの合成音声と共に、ヘルメットの内側へカウントダウンが表示。

 レクレスは銃をホルスターへ戻してバイクのギアをあげる。

 加速したバイクは道路のひび割れで跳ね、細かな瓦礫を蹴散らしていく。バイクに搭載したAI・ダスクの補助はあるものの、レクレスの姿勢制御ひとつですぐさま破綻する走りだ。

 警告音が鳴る。

「切れ」

「あなたに死なれては私が困るのですが」

 不満を口にしながら、ダスクは指令を遂行。

 再び静けさを取り戻したヘルメットの中で、レクレスが舌打ちする。

「できれば封印中にぶっ殺しておきたかったんだがなぁ」

 その視界では、ノックス覚醒のカウントダウンがゼロを示していた。

 カチリ、とドラゴンに抱えられた──ドラゴンを戒めていた時計が針を進める。

 ぴくりとも動かなかったノックスが、そこで初めて身じろぎした。

 次いで、時計から伸びた鎖にひびが入る。

 黒い体を揺り起こし、ノックスはついに目を開いた。虹彩は、うろこよりさらに深い黒。

 形を持った影のような姿を前にして、レクレスの口元は笑みを作っていた。

 本当に「楽しんで」いるのか、それとも恐怖をごまかすための笑みなのか、レクレス自身にも判別がつかない。

「二〇年と五ヶ月の封印期間終了。暗夜の黒竜〈ノックス〉の覚醒を確認しました」

 坦々と、ダスクは告げる。

 二〇年と五ヶ月。

 それは、過去の人類が「ノックス」と名付けたドラゴンを倒すのに必要と判断した時間だ。

 技術が進歩すれば、全てのドラゴンは打ち倒すことができる。

 であれば、現代の技術で倒せないものは、都市ごと封印して未来に託そう──時計を用いた時限式の封印は、ドラゴンとの戦いを諦めない人々が抱く希望の結晶である。

「能力値測定──完了。再封印の必要はありません。廃棄都市の奪還を開始してください」

 ダスクの言葉と共に、ノックスの体を戒めていた鎖が砕け散った。

 飛来する鎖の欠片を避け、レクレスはさらにノックスへ接近。ほとんど真下に来たところで、ノックスが丸めた全身に力を入れるのが目に入る。

「ダスク、援護頼む!」

 レクレスが要請した直後、ノックスは翼を広げざまに咆哮。

 大気が振動する。空気の塊が圧になって襲いかかる中、それでもレクレスはブレーキを握らなかった。

 どころか、ハンドルすら手放す。

 後方に向けて飛び降りたレクレスは、代わりにバイクのボディに埋め込まれた『柄』を掴む。勢いを殺すことなく抜刀されたのは、細身の長剣。

 さらに、走り続けるバイクは構成する金属を流動させていく。

 搭載されたダスクの指令の元、液体金属の流動性を取り戻したボディはもうひとつの姿──砲身の形をとる。

 レクレスが着地する頃には、バイクだったものは自律移動砲台に姿を変え、最適な射撃位置への移動を開始していた。

 剣を肩に担ぎ、レクレスは黒竜を見上げる。

 視線の先で、天を仰いでいたノックスが顔を下に向ける。闇を凝縮したような漆黒の瞳と、目が合ったような気がした。

 スモークガラスの風防を跳ね上げる。

「久しぶりだなぁ、ノックス」

 睨むレクレスの瞳は、光を束ねたような黄金色だった。

「返してもらうぜ、この町をよぉ」


#指定された曲のイメージでお話書く

Clockwork Dragon

 ──変わりものの錬金術師がいる。


 その男の噂は、以前から聞いたことがあった。

 不老不死、黄金の精製、人間の創造を目的とする、変人だらけの錬金術師。その中でも、男は飛び抜けておかしなことをやらかすらしい。

 いわく、なにかしらの実験をしていたと思ったら、その途中で材料を探しに山へ向かう。

 いわく、何日も家を留守にしていたと思ったら、ふらりと帰ってきて何日も出てこない。

 話を聞くだけでも、彼の行動に統一性や計画性などどこにも見当たらない。

 錬金術師は科学者である。

 世界の理を探り、その秩序だった真理を見出すという考えを持った錬金術師の中で、男の無秩序性は当然ながら嫌われている。

 彼の住み家に訪問するはめになったのは、単なる偶然、運命の巡りあわせによるとしか言いようがない。

 あるいは単に、つい面倒ごとに首を突っ込んでしまう悪癖の故か。

「本当に、ありがとうございました」

 そう言って頭を下げるのは、琥珀の瞳を持つ女だった。

 謝辞は二度目。最初は、街道で山賊に襲われかけていた彼女を助けたときに。

 今回は、「礼がしたい」と言う彼女に、森の奥にあるという屋敷へ案内されているときだった。

「何度も通っている道なのですが、最近は物騒な人が多くて」

 困ったように言う女。

 しかし、物騒な人間が増えるのにも理由があった。

 戦だ。

 ひと月前、隣国で若い王が即位した。若さ故の過ちとはよく言うが、血気盛んな若き王は自国の拡大を、すなわち戦を求めた。

 結果、この国は若さ故の過ちのとばっちりを受けている。

 まだ戦いは本格化していないものの、物価は徐々に上昇しているし、盗賊まがいのことをする者も増えた。

 自分のような傭兵がこの国に来たのも、ひとえに戦の──カネの気配を察したからだ。

 だから、通り慣れた道とはいえ、女が一人で道を歩くのは無防備にすぎる。

 そう指摘すると、「そうですよね」と女は一度頷いた。

「でも、これは私の機能ですから」

 ……機能?

 女の言葉選びに違和感を抱く。問い直す暇は与えられなかった。

「見えてきましたよ」

 数歩前を歩いていた女が、こちらを振り返って微笑んだ。

 その瞳は、薄暗い森の中にあっても煌めいているように見える。透きとおるような橙の奥に、深い茶色のもやがかかっているようだ。琥珀色の瞳と言ったが、本当に琥珀を光彩に埋め込んでいてもおかしくない。

 宝石類で飾りたてる舞踏会の貴婦人方が、嫉妬に狂いそうな瞳だった。

「あちらが、私の住居です」

 女が言葉を続けなければ、ずっと目を奪われていただろうか。

 我に返って、引きはがすように視線を動かすと、確かに行く手には一軒の屋敷があった。

 周りが開拓されていない割に造りは頑丈そうで、三階建てと背も高い。

 ただ、手入れが行き届いていないらしく、外壁はほとんど蔦で覆われていた。

「森に溶け込んでいるでしょう?」

 愉快そうに笑う女。

 しかし、その笑みを見ても、心のざわつきは収まらない。

 自分が首を突っ込んだ面倒ごとは、「襲われていた女を助ける」だけだったはずだ。

 それが今、奇妙な屋敷を前にして、甘い憶測だったことを思い知らされる。

 こんな場所に住んでいる人間が、「助けてくれた礼がしたい」などとまともなことを言うだろうか?

 振り返って走り出せば逃げられる。そうするだけの理由と感情は揃っているというのに、自分の体は女の背中を追っていた。

 あの瞳。

 琥珀と見紛う瞳は、邪なる眼だったのか。

 体が思い通りに動かない代わりに、思考は回転を速めていった。

 錆びた蝶番の音も、地下室へと向かう女の足取りも、思考が悪い方向へ転がり落ちていくのを助けている。

「旦那様」

 女の呼びかけで、自分の意識は現実へと向けられた。

 壁一面の棚に、所狭しと様々なものが並べられている。言語の統一されていない書籍、どこかから削り出したらしい岩石、ガラス容器に入った液体……絵に描いたような怪しげな実験室。

 呼びかけに応えて振り返った男は、思っていたよりもだいぶ若い。

「あぁ……ずいぶん待った」

 独り言のように、男は言う。

 年若い容姿には似合わない、血走った目がこちらを向いた。

 そこには狂気が宿っている。

 命のやり取りをする戦場で、強制的に血に狂わされる戦士とは別の狂気だ。

 世界の真理を、秩序を、法則を、全てを解明しようとする、錬金術師の狂気。

「誇りに思いたまえ。錬金術の極致、人間と貴金属の融合、その第一例になれるのだから」

 男の指は興奮に震えていた。

 右手で掴んでいるガラス瓶には、白い球が入っている。

「人間の創造、黄金の精製。その先になにがあるか、考えたことはあるかね?」

 気味悪く、男は笑う。

 ガラス瓶の中で、ころりと球が転がった。その「光彩」がこちらを向く。

 眼球だ。

 わずかな光すら反射して輝く、貴金属の瞳がこちらを向いていた。

 ──本当に琥珀を光彩に埋め込んでいてもおかしくない。

 女の瞳に抱いた印象が、にわかに現実味を帯び始める。

 依然、体は動かない。

 目の前に迫る脅威を避けることができない。

「まぁ、君は考える間もなく、体感することになるがね」

 言いながら、錬金術師の男は手をこちらへのばしてきた。

 特殊な器具を持っていないのが、むしろ恐ろしさを助長する。

 かぎ状に曲げた指が自分のまぶたを持ち上げ、そして──
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プロフィール
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射月アキラ
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自己紹介:
一次創作・オリジナルなファンタジー小説書き。
普段はサイトで好き勝手書き散らしているが、そこでページ作るのもめんどいと思ったらこっちで好き勝手書き散らす。短い話はだいたいこっちに投げられる。
褒めても喜びけなしても喜ぶ特殊体質。
ついった:@itukiakira_guri
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