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ベルデ・コロールは疲れ果てていた。

自宅玄関に入った一歩目で箒を立て、二歩目で魔女帽子を引っ掛けて、三歩と四歩の合間にパンプスを脱ぎ捨てる。

シワにならないよう、ローブの扱いだけは丁重に。裏地は今年流行のラベンダーカラー。ちらりと目に入るだけでも多少心が穏やかになる、ベルデのお気に入りだ。

ウィッチ・クラフトとファッションを両立するデザイナーとして、会社勤めを始めて四年。新人ともベテランともつかないベルデからすれば、初めて単独でプロジェクトを乗り越えたこの一週間は過酷の一言につきた。

もはや自宅でこうやって一息つけるのも久しぶりのように思える。できることならアルコールでも摂りたいところだったが、もう十時を越えているので食事をするのも気がひける。

そも、次の日には後悔することになるのだ。ベルデは明日の自分に呪われるようなことはしない主義だった。

そう思うと一刻も早く眠ってしまいたいものだが、体は疲れ切っているのに頭だけが冴えている。棺桶ベッドでもあればよかったのだが、あれが発売された頃のベルデはまだ新入社員で、懐に余裕がなかった。

──事故こそ起こっているものの、人気商品だったのだからそろそろ新作を出しても良さそうなのに。

ハァ、とため息をつくと、ベルデは周りを見る。

眠れないときのために作り置いていた魔法薬は、一週間で使い切ってしまった。今から作るような気力はないし、使い捨ての温感アイマスクもストックがない。

代わりに、買ったきり放っておいたままになっていたバスボムがあった。

箱の裏に書かれた説明を読みながら、ユニットバスへ向かう。

住居選びの際は少し小さいと思っていたのだが、今はこのコンパクトさがありがたい。杖を一振りすればすぐに清潔さを取り戻すし、湯を張るのにも時間はかからない。

手早く服を脱いで洗濯機に放り込む。魔法の発動は明日の自分に任せ、ベルデは再びユニットバスへ。湯が溜まる前に体を清めると、早速バスボムの包装を剥がす。

乳白色の球体は思ったよりも滑らかで、粉っぽさは少しもない。鼻を近づければ分かる程度の、ほのかなラベンダーの香りがする。

まだ湯を入れている途中の浴槽へ沈めれば、にわかに泡が立ち始める。細かく白い泡が湯面を埋め尽くす様は、確かにパッケージに書かれた通りの「雲の海」を思わせる。

丁度いい深さになったところで蛇口をひねり、湯を止める。少し膝を曲げて座れば、泡が鎖骨の辺りに触れるくらいだった。

天井を見上げると、ミントグリーンのタイルではなく、濃紺の夜空と銀色の月があった。バスボムに内蔵された幻影魔術が、夜の雲海を映し出しているのだ。

少し高めの水温に暖められて、ベルデのこわばった神経もほぐれるようだった。指を組んで腕を上に伸ばせば、頭もようやく眠気を受け入れてくれる。

ふわりとあくびを一つ。後はバスボムの包装で強調されていた注意書きの通り、湯船で眠らないように注意するだけだった。
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観客の熱気を浴びてスタートラインに立つのは初めてのことだった。

 緊張などするタチではないと思っていたが、実際に歓声を聞き、大勢の視線を集めれば自然と心が沸き立ってくるようだ。

 呼応するように、己の内の炎も猛る。

 レース競技が発展したホウキが木製だったのは、ある種必然だったのかもしれない。耐火性をそなえた素材がメジャーであれば、俺のような火属性魔法の使い手が魔力暴走を起こす事故が二、三回は起きていただろう。

 深く呼吸して、どうにか心を落ち着ける。

 まだ火を灯すには早い。片手に掴んだ相棒は、まだ冷たさを保っている。

 アイアスが生んだ鋼鉄製ホウキ「ボルケーノ」。

 耐火性に優れたこのホウキが、火属性使いの俺が全力で扱える唯一のスピードレース用ホウキだ。

 そして、アイアス地方で作成された唯一のスピードレース用ホウキでもある。

 歓声が高くなって視線を上げてみると、丁度スターターが足場を上がっているところだった。

 額の上から防塵ゴーグルを下ろし、首に巻いたスカーフを鼻の上まで持ち上げる。靴底の厚いブーツで二回蹴れば、軽く砂埃が立った。

 周りのレーサーと比べれば、俺の装備は全体的にもっさりと見えるだろう。軽量化を最優先にされたスピードレーサーは、魔法使いの必需品であるローブもまとわない。靴は地面を歩くことを想定していない布製で、アイアスの道なら一分と経たず足が血まみれになりそうだ。

 とはいえ、俺が装備を軽くする理由もない。ボルケーノはそれだけで二十キロもあって、ホウキとしては規格外の重さなのだから。

 スターターが足場を上りきり、会場はにわかに静かになっていく。「レディ」の声と共にスターターが杖を上げると、周りのレーサーは皆ホウキを上昇させた。

 歴史ある木製ホウキは自由に空を飛ぶ。対して鉄製ホウキは火炎の推進力で駆けるしかない。

 結果、俺はまだ地に足をつけていた。ただホウキに跨って、ズシリと重いボルケーノの負荷を腕で感じる。

 防塵ゴーグル越しの視線を上げると、スターターの杖の先に光が集まっていた。

 その光が強まって、臨界点を越えた瞬間。破裂音と共にスタートの合図が放たれた。

 思い切り大地を蹴り、己の内から魔力を開放。ボルケーノの穂にあたる部分に叩き込めば、埋め込まれた魔石から炎が噴出した。

 蒸気機関に比べれば、この初速は断然速い。けれどスピードレース用に調整されたホウキとその乗り手は、当たり前のように前を飛んでいた。

 防塵ゴーグルに砂が叩きつけられる。前方のレーサーが巻き起こす風が髪を暴れさせた。

 木製ホウキの動力は風属性のマナだ。特に速度偏重のホウキとなれば、後方を気遣うような造りはしていない。

 先頭集団に入れないことは確定していたから、風の洗礼を受けるのも分かっていた。ボルケーノの火力は控えめに、確実にコースを走ることを優先する。

 鉄製ホウキの難点は、制御の難解さそのものだ。

 アイアスのホウキは止まれない。速度を出したまま、己の重心移動でコーナーを曲がる必要がある。

 ──焦りは禁物だ。たとえ戦闘集団がはるか前方にいたとしても。

 集団の最後尾に貼りついたまま、付かず離れずを維持する。知らず流れていた冷や汗が風で吹き飛んでいく。空気の流れる音が耳元で延々鳴り続けるのももはや気にならず、過集中のせいで遠く客席からの歓声や怒号すら聞こえてきそうだ。

 重苦しい低音の怒声は、聞き慣れた声音のような気もする。おそらくアイアスから来たドワーフ族だ。

 まず間違いなくボルケーノの勝ちに賭けているから、俺がモタモタしているのが許せないのだろう。

 守銭奴とすら呼ばれる彼らだが、土にこだわる性質から強い郷土愛を持っているのだ。

 レースも終盤。レーサーが順に最終コーナーへ入っていくのを尻目に、俺はアウトコースへ膨らんでいく。

 スピードレースの最後の直線。

 アイアスのホウキが輝けるのはここしかない。

 姿勢は低く。風圧で吹き飛ばされないように柄を握りしめる。

 ──鉄製ホウキの筒状になった穂から、後方に向けて放たれる炎を竜の息吹(ドラゴン・ブレス)と表現したのはどこの情報誌だったか。

 その比喩が気に食わなかった職人が作ったのが火山(ボルケーノ)だ。

 目の前が開けて誰の背中も見えなくなった瞬間。ボルケーノに内蔵された魔石へ再度魔力を注ぐ。

 今度は全力だ。アイアスと違ってマナは有り余っている。周囲から集めてまとめてしまえば、魔石から放たれる炎は更に強くなる。

 火炎が炸裂。爆発的な加速で直線を飛ぶ。

 歓声が聞こえなくなった。観客席の最前列で、ドワーフ族が箒券を放り投げた姿勢のまま固まっている。ゴーグルに当たった砂利の一粒までを引き伸ばされた知覚で視認した。

 二、三メートルの距離を取って、左手に並ぶ木製ホウキのレーサーたちを遠慮なく抜き去っていく。

 ここまで来れば、意識すべきは“ゴールの先”だ。

 ゴールラインは瞬きの間に通過。直後から減速を始めて、段々と音が戻ってくる。

 いっそ熱狂的な歓声だった。コース外周の壁が近づくにつれて悲鳴じみた声も混ざってくるが、俺がギリギリで曲がり切ればそれも収まって歓声だけになる。

 充分に減速しきってから、思い切って飛び降りる。ぐるりと見渡せば、席を埋め尽くした観客たちがアイアスの鉄製ホウキの初勝利に沸き立っていた。

 最前列のドワーフ族はといえば、ついさっき放り投げた箒券を必死に探していた。
古びたアパートの扉の前で、かれこれもう五分も悩んでいた。

 日も沈みきってはいるが、夜が更けたとは言いがたい時間帯。通りを二本も移ってしまえば明るさが保たれているだろうが、この辺りは“夜型”の少ない地区らしく、生活に伴う光も音もかなり控えめだった。

 そんな場所だから、当然人目はない。ないのだが、五分もアパート前にとどまっているのはさすがに気が引けた。

 まだ春になったばかりで、日没から気温はにわかに下がり始めている。このまま立ち尽くしていてもただいたずらに体を冷やすだけのことは明白だった。

 ごくりと生唾を飲んで、扉を押し開ける。

 古い見た目の割に、金具の軋む音もなく、滑りもなめらかだ。暗いホールには貸し住居の玄関扉が二つと上下階に続く階段。この町ではよく見る形のアパートの造りだ。

 おそるおそる踏みしめた床も、やはり音は鳴らない。古い床板は張り替えた様子もないので、最新の防音魔法かなにかがアパート全体に施工されているのだろう。

 近所迷惑にならないことが分かれば、足取りも多少は軽くなる。階段を上がり、最上階の三階へ。南の通りに面した部屋が目的地だ。

 黒ずんだ扉には、簡素な看板がかけられている。

「CLOSED

OPEN 10:00〜19:00」

 分かっていたことだった。アパートの前で五分も悩んでいたのはこれが理由だった。

 ため息を一つ。明日朝一で出直そう。

 踵を返そうと半歩引いた瞬間、「CLOSED」の看板をかけた扉が内側から開かれた。

「いらっしゃいませ」

 平坦な声がした。

 メイド服を来た自動人形(オートマタ)がそこに立っていた。

「旦那様がお待ちです」

 有無を言わせぬ口調で自動人形が告げる。

 営業時間外にも対応してくれるのはどうしてなのか? という当然の問いに対しても、答えてはくれないのだろうと妙な確信がある。

 半歩引いていた足を戻し、促されるまま入室。

 アパートの一室らしい短い廊下を抜けると、思ったより広い居室に一人がけソファが向かい合って二脚。少し離れた暖炉の前で、ロッキングチェアに揺られているのがこの部屋の主らしい。

「すまないね。客を迎えるというのにこのような格好で」

 男は風呂上がりと思しきナイトガウン姿だった。その上、目元から額は柔らかい紙製の使い捨てアイマスクで覆われていた。表面には、魔法陣特有の淡い光が浮かびあがっている。そういえば、新作で治癒魔法つきの三つ目仕様アイマスクが出ていたな、とどうでもいいことを思い出す。

 ひとまず、閉店後の来訪を詫びる必要があった。半ば定型文のようになってしまった挨拶に対して、部屋の主はひらひらと右手を振る。

「招き入れたのはこちらの方さ。この状況でも迎えねばならない、と私が判断したという理解をしてもらえればそれでいい」

 そう言う間に、自動人形が椅子と小さな机を用意していた。腰かけると、柔らかな香りのする薄い色のハーブティーがすぐさま机上に配膳される。

 普段来客用に使っているはずの一人がけソファを使わないのは、今が営業時間外だからか。部外者には判別のつかない魔術的な意味合いを持たせているのかもしれない。己の行使する魔法を補助するため、“依頼者”との会話を一種の儀式として扱っている可能性もある。

「春になったとはいえ夜は冷えるだろう。まずはリラックスして欲しい。私の“目”を曇らせる要素を減らすためにね」

 放っておいたらいつまでも話していそうな流暢な口調とよどみない声音は、いっそ安心感すらある。

 眠気を誘いそうな香りのハーブティーを一口。ちらりと伺うと、紙製アイマスクの発する魔法陣の光は先程よりも弱くなっていた。

「これは素晴らしい新商品でね。三つ目用サイズを作ってくれたのはもちろんだが、魔眼にも効く治癒魔法が組み込まれているのが大変ありがたい。惜しいのは、私がこの後すぐに眠りにつけないことだけかな」

 言いざま、男は親指をひっかけてアイマスクを持ち上げた。下の二つ目は閉じたまま、額で鮮やかな青がこちらを射抜く。

 魔眼を持つ安楽椅子探偵。その素質と職業を兼ね備えるのは珍しいことではないが、未来視と読心を兼ね備える魔眼は希少だ。

 その魔眼の力でもって、男はあっさりと話を進めていく。

「それでは聞かせてくれ、私より先を視るものよ。あなたがなにを“視”たのか」
 上品な白い磁器から湯気が立ちのぼる。
 透き通った緑の茶からは、清々しい葉の香りがした。紅の芳醇さとはまた違う、生きた植物に近い香りを、ラルフは好んでいた。
 梁が剥き出しの、木と紙でできた家も。そこに住む、老木のような男のことも。
 ──今の自分が、この場に似合わないスーツ姿でいることが、心苦しいくらいには。
「さて、この老いぼれになんの用か、そろそろ訊かせてもらおうか」
 ラルフの向かいに座る男は、火箸で囲炉裏の炭を転がしながら口火を切った。
 その目に光が入っているのか、外目には判別がつかない。色が抜けて白く濁り、どこにも焦点は合っていないはずなのだが、火箸は迷いなく炭を動かし、空気が入るように調節を終えている。
 火箸を置き、寒そうに羽織りの前を合わせる動作まで、暗闇の中に生きる者とは思えない滑らかさだ。
 ラルフは磁器を囲炉裏を囲う板に置いた。
「月のこと、お耳に入っていらっしゃいませんか」
 吸い込んだ空気に含まれたいぐさの香りに押され、若い頃のようにラルフは問う。
 ほぉ、と高く声を出した老爺の前で、ざわりと心が波立つのも懐かしい感覚だ。答えの分かりきった、簡単な問いをラルフが口にするたびに、老人はその声をあげるのだった。
「のっぺらぼうになっちまった以外に、お月さんになにかあったかね?」
「……その件です。先生」
「なァんだ。そんなもの、見りゃあ分かるとも」
 肩を揺らして笑う老人に、ラルフは眉を寄せて複雑な表情を浮かべる。
 濁った片目はどう見てもラルフの背後の桐たんすに向いているし、もう片方は老人に似合わない黒い革の眼帯で覆われていた。
 ただ──老人の言葉に、およそ間違いはない。
「しっかし、センセイだなんて呼ばれたのは久々だなぁ」
 そう言って梁を見上げる老爺の背後。
 開け放たれた障子の向こうには、まっさらになった月が浮かんでいた。
 そこには蟹も、ドレスをまとった貴婦人も、餅をつく兎もいない。
 クレーターの影を失った月は、まさに『のっぺらぼう』だった。
「あなたが仕事をお辞めになったとしても、私はあなたの弟子ですよ」
「お前なんざもう弟子じゃねぇ。立派な退魔師になった男に、センセイと呼ばれる筋合いはねぇよ」
 乱暴に突き放す言い方は、老爺なりの激励なのだろうか。
 ラルフが修行を終え、この屋敷を出るときも、似たようなことを言われていた。
 昔を思い出して笑むラルフに気恥ずかしくなったのか、老爺は落ち着かない様子で自分の前に置かれた茶器に手を伸ばす。
 ずず、と音を立ててすすり、おおげさに息をはいてから、言葉を継ぐ。
「で……おれが仕事を辞めたのは分かってて、なんでこんな田舎まで?」
「最後になるかもしれませんので、ご挨拶に」
 自分でも驚くほど平坦な声が出て、ラルフは内心で困惑した。
 かっ、と喉を鳴らした老爺が苦々しく口を歪めるのも無理はない。
「まるで死ににいくやつみてぇな言葉だな」
「しかし」
「あァ、そうだなあ。お月さんがのっぺらぼうになっちまった後には、決まって現役の退魔師が半分以下になっちまう。──あァ、おれのときは酷かったとも。生き残ったのは、たしか百人に一人……」
 下を向いた老爺が思い出しているのは、その惨状だろうか。
 それとも、共に生き延びて、その後死に別れてしまった同胞のことか。
「……今、何人だ。戦えるのは」
「なんとか寄せ集めても、千人程度かと」
「…………」
 老爺は背を丸め、ため息をついて首を振る。
 そのまま黙して動かないときが続き、ラルフは居心地悪く茶に口をつけた。あれほど香っていた茶の味がしない。
 死を意識した、せいだろうか。
 退魔師を危険のない仕事とは間違っても言えないが、ラルフは平時であればまず間違いは起こさない域に到達している。
 ただ、陰の存在である月が影をなくし、世界のバランスが崩れてしまったときだけは、いかに熟練の退魔師であろうと死は近付いてくる。
 戦争、なのだ。
 広く、深い意味での、「魔」との。
「足りんな。なにもかも」
 ようやく、老爺は言葉少なくそう言った。
「はい。今回はしのげても、退魔師の存続は不可能でしょう」
「あァ、そうだな。人も足りん。だが、なにより足りんのは光だ」
「は──?」
 ラルフが意味を掴み損ねていると、老爺の枯れ木のような指はスーツの袖を示した。
 見下ろしたそこには、かがり火の意匠を刻んだカフスボタン。闇を照らし、魔を祓う、退魔師の証があった。
「お月さんの影を取り戻すのに、かがり火では足りん」
 ばっさりと、老爺は言い捨てた。
 かつて退魔師として戦い、魔との大戦を生き延びた男の放った言葉を、信じられない気持ちでラルフは耳にした。
 退魔師は、この証を己が矜持として、魔を退けてきたのではなかったか。
「それは、かがり火は人の力だ。限界がある。このちっぽけな体で、あのでかいお月さんとやりあおうって言うなら、数を揃えるか、外から力を借りるしかないだろう」
 その口調は、ラルフに退魔のすべを教えたときと同じだった。
 厳しくもまっすぐな言葉で、老爺は事実を突きつける。
「今から動いても数は揃わず、力を借りるのもタダではない。あァ、だがなぁ、お前を亡くすのは、惜しい。だから、お前には目を焼く苦しみを受け入れさせなきゃあならん」
「目、を──?」
「お月さんに影を作っているのは、誰だ?」
 困惑するラルフへ、老爺はなぞなぞのように問う。
 しかし、そこに曲がりくねった表現はない。まっすぐ、そのままの意味で、老爺は言葉を継いだ。
「人の目なんざ見ただけで焼きつぶす、触れてはならない輝きとやら。近付きすぎて地に落とされた英雄も、大昔、どこかの国にいたそうじゃあないか」
 枯れた手が持ち上がり、黒い眼帯に親指を差し込んだ。
 そのままためらいなくめくりあげた場所には、焼けて動かなくなった瞼と、薄く開いた隙間から覗く眼球。
「お天道様だ。その輝きを、目に宿してみせんのよ」
 老爺は、歯の少ない口元でにやりと笑む。
 ラルフの背が粟立つほどの凄味を見せる男は、老爺というより歴戦の戦士の方がよほど近い。
 呆然とするラルフの前で、老爺は眼帯を戻す。
「なに、お天道様も鬼じゃない。慈悲はあるとも。おれの目は世界を見ることはできないが、お天道様に照らされてる。光は失うが、同じくらい得られると保障してやらァ。だから──訊くのは、たったひとつ」
 老爺はそう言って立ちあがると、広く開いた袖に左右の手を突っ込み、まっすぐにラルフを見下ろした。
 白く濁った目の向こう側には、影のない月が浮かぶ。
「己が目を焼く覚悟はあるか?」




お題 前兆・囲炉裏・カフス @todomaguro0 より
 ひどい雨だった。
 本当にこれだけの水が空の上にあったのか、と疑問を抱いてしまうくらいだ。粒の大きな雨が、絶え間なく降り注いでくる。
 おかげで視界はすこぶる悪い。
 落下の途中から、地面で弾けて流れるまで。雨粒は、視界のノイズとして充分すぎるほどに役割を果たしている。雨自体は色を持っていないはずなのに、街がうっすら白く染まっているようにすら見えてくる。
 目元に当たるはずだった雨粒を避けるという一点に限れば、気休めにかぶったフードは意外にも健闘していた。
 とはいえ、こんな日が外出に向くはずもない。もちろん、雨の中を出歩いているのにはしっかりとした理由がある。
 端的に言えば仕事だ。
 気が向かないが、必須の。
 人通りのない道を歩きながら、懐から愛銃を取り出す。続けて銃口に消音機をつけ、安全装置を外せば準備は完了。
 重苦しい金属色が雨に濡れる。
 誰かから銘を聞いた気もしたが、とっくに忘れた。
 撃ち出せる弾丸の口径さえ覚えていれば、別に不便はない。
 指定の路地を曲がる前に、建物の陰で足を止めた。
 地面に目をやると、流れる水の中にうっすら赤がにじんでいる。
 果たして、それが敵と味方とどちらのものなのか──疑問を抱く間などない。
 敵のものならば、自分が呼ばれる理由がないのだから。
 通りへ銃口を向けながら、角を曲がる。
 赤かった。
 建物の外壁や地面に飛び散った赤が、叩きつける雨で薄められながら流れていく。
 それは血の川のようで、事実、流れているのは大量の血液だった。
 なら、地面に落ちた赤黒い肉片は、死体か。
 肉と骨と内臓と毛髪と衣服と銃が、全てバラバラになってあちらこちらに散らばっている。
 雨の影響か、目に飛び込んでくる情報に対して、ただよう血の匂いが薄すぎる。気味の悪さすら感じてしまうほどに。
 そんな死地の中。唯一立っている人影は、小さく、細い。
「あれぇ? まだ生きてたの?」
 舌足らずな口調も、高い声音も、主の幼さを確定させるに十分だった。
 路地裏に立っていたのは、一人の幼い娘だ。飛び散った血肉にひるむ様子もない。それどころか、向けられた銃口を嘲るような口調で言葉を継ぐ。
「いっぺんに殺されちゃえばよかったのに」
 ぱしゃり、と娘の長靴が水溜まりを蹴った。
 血混じりの雨水が、転がった鉄塊の上に落ちる。銃のグリップに見えるそれには、元は手であっただろう肉の塊と、骨のかけらがこびりついている。
 娘が持っているのは、閉じたままの傘だ。骨が一本だけ外側に折れているせいで、中に大量の雨水が入り込んでいる。
 雨に降られるまま、濡れた髪の毛は高い位置の二つ結び。その下に、青い石のピアスを付けた、尖った耳が生えている。
 ──エルフ族。
 自分が呼び出されている時点で分かりきっていたが、尖った耳を視認した途端、体に緊張が走った。
 細く息を吐いて、半分ほど緩める。
「ふぅん。死なないつもりなんだ」
 呆れた、とでも言うような口調で、娘は言う。
 銃口が向けられている、という事実など、娘の感情を動かすに足るものではないらしかった。とはいえ、雨に濡れた路面に転がる肉と鉄の塊を見れば、それも頷ける。
 音速で飛ぶ弾丸程度、娘の駆使する「技術」にとっては脅威にならない。
 故に、娘が骨の折れた傘を回して、順手に持ち直してもトリガーは引かなかった。
 今は攻撃のときではない。
 銃を持った人間を大勢殺した、その上なにをしてくるのかも分からない相手に、先手必勝など通じるはずもない。
 極度に集中した視覚が、雨の中に動く影を捉えた。
 娘のそれではない。
 背丈は倍。大の大人が、娘の背後に現れ、銃口を向ける。
 生き残りか──と、影の正体を悟ると同時、体を動かしたのは本能染みた危機感だった。
「〈私は奪う〉」
 やかましい雨音と、自らの足が蹴立てる水音の隙間で、高い娘の声がした。
 娘が振り向きざまに向けた傘の先は、狙いすましたかのように銃口にぴたりと重なる。傘の中に溜まっていた雨水が、まとめて路面に落ちて破裂した。
 視界から外れるように動いたせいで、娘の表情をうかがい知ることはできない。
 代わりに、死を予感したらしい生き残りの男が、体を引きつらせて震えるさまは、嫌味なくらい鮮明に映る。
 尖った耳で、青い石が輝いた。
「〈雨粒が落ちゆく未来を私は奪う。水滴は刃となり、汝の災いとなれ〉」
 娘が言葉を紡ぎ切った途端、人体が炸裂した。
 皮膚が一瞬で裏返ってしまったような、赤い血と肉の露出。死体の一部が飛び散って、ようやく男を襲ったものが見えるようになった。
 氷の棘。
 幾度も枝分かれして肉体の内側から食い散らかす死の棘が、男のいた後に残されていた。
 それも数秒。支えのない氷は自重で崩れ、娘と傘だけが残る。
「魔学も理解できないおバカさんが」
 ぐるり、と振り返った娘は、見開いた目でこちらを捉える。
 被った血や肉は、空から降り注ぐ雨で流れ落ちていくところだった。
「あたしに勝てると思ってんのぉ?」
 続いて、傘が振り回される。
 その先端が狙いを定める前に、銃口を下に向けて地面を蹴る。
「〈私は奪う〉」
 枝分かれして襲いくる氷の棘が、頬をかすめていった。
 切り傷からわずかに血が流れるものの、命中と言えるほどではない。
 人体に刺さるはずだった棘は、中空にわずかに留まり、無色のまま路面に叩きつけられた。
「な……」
 娘の驚愕は、こちらが体勢を立て直すのに十分な隙を作る。
「……んで……! なんで生きて……!」
 そして、隙をみすみす見逃す理由は、こちらにはない。
 ようやく攻勢に出るときが来た。引き金を絞る。
 戸惑うばかりの娘の右耳で、赤が散った。
 甲高い悲鳴。傘を取り落として耳を抑える娘に構わず、もう一発。今度は左耳のピアスを吹き飛ばす。
 狙いを違えたわけではない。元より、こちらには殺意など微塵もないのだから。
「ひ……ぐ……あんた、石、分かって……!?」
「魔学者なんざ、この町じゃ珍しくもないからな」
 銃口は娘へ向けたまま、ゆっくりと歩み寄る。
 あっけないほど、簡単だった。
 まださほど世界を知らない魔学者など、この程度のものだ。
 魔学──触媒の未来を奪う技術を極める中途に立ち、また歳が若ければ若いほど、自分を全能だと思いがちだ。
 それをわずかでも揺るがしてしまえば、致命的な動揺は簡単に引き出せる。
 もっとも、世間知らず相手にしか通じない手ではあるが。
「安心しろ、依頼は殺しじゃない」
 耳を押さえる娘の喉が引きつって、短い悲鳴が漏れる。
 死よりも恐ろしいものがあることくらいは、知っているらしい。
「首領は町で暴れる魔学者の生け捕りを望んでいる。言い訳か、取引でも考えておくんだな」
プロフィール
HN:
射月アキラ
性別:
女性
自己紹介:
一次創作・オリジナルなファンタジー小説書き。
普段はサイトで好き勝手書き散らしているが、そこでページ作るのもめんどいと思ったらこっちで好き勝手書き散らす。短い話はだいたいこっちに投げられる。
褒めても喜びけなしても喜ぶ特殊体質。
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