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サイトにあげるまでもないSSおきば
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 扉を開けると、室内とは思えないほど濃厚な土と植物の香りがした。
 陰鬱な気分になってしまうのは、ほとんど条件反射のようなものだった。オクルスは後ろ手に扉を閉めながら、周囲に目を向ける。
 見晴らしはよくない。そこらじゅうに置かれた植物は好き勝手に枝や蔦を伸ばし、屋内にいながら森よりも密度の高い緑を作り出していた。外からの光を効率的に取り込む構造になっているから、暗闇に視界を奪われないことが救いだ。
 無言のまま、オクルスは部屋の奥に歩を進める。
 障害になるのは、床置きや吊り下げなど、様々な形状の植木鉢。それらを避けて辿り着いた目的地には、作業場に置かれているような木製机があった。
 机に向かっていた白衣の背中が振り返る。
「珍しい客だな」
 白い髪に反して、声は若い。肌の色は青みがかった濃い灰色で、顔から年齢を判別するのは難しかった。
 もっとも、オクルスが彼について個人的なことを推測する理由などないのだが。
「今度は誰の使いだ? ……あぁ、いや、言わなくていい。用件だけ聞こう」
 それは白衣の男も同じようだった。素っ気なく言って、右目につけた片眼鏡を押さえる。その奥の瞳は色素が飛んでいて、男は前髪を下ろして右目を隠した。
 オクルスは気にせず会話を継ぐ。
「占いを」
「はぁ? それは本人がここに来なければ意味がないとあれだけ」
 白衣の男はそこで一度言葉を切った。
 そして、信じられないものを見るような目をオクルスに向ける。
「まさかお前に占いが必要なのか?」
「えぇ、まぁ──そういうことになるのでしょうね」
 オクルスは歯切れ悪く答える。
 とはいえ、自分自身が強く望んでここに来ているわけでもない。ほとんど強要されて来ているのだから、そう答えるしかないのが現状だった。
 そんな返答からなにかを察したのか、白衣の男はゆるりと腕を組んで目を細める。
「へぇ、そりゃ面白い。面白すぎてやる気も出ないな」
「それは残念です。首領からの推薦だったのですが、あなたがそうおっしゃるなら他を」
「首領が絡んでいるなら先に言え。いいぞ、いくらでも占ってやる」
「……魔植学の創始者ヴィルヘルムといえど、首領には弱いのですね。悲しいものです」
「なに、魔面学の最後の一人ほどでもない。と言いたいところだが、新興魔学には研究費用が必要でね。パトロンには実際弱い」
 白衣の男──ヴィルヘルムは自嘲するように言って肩をすくめた。
「で、なにを占う? 恋の行方か? それとも結婚相手でも探すか?」
「助手になりえる人間を」
「なんだ、地味だな」
「華やかであればいい、とでも?」
 つまらなそうに言うヴィルヘルムに対し、オクルスはため息を返す。
 相変わらず乗り気ではなさそうだが、ヴィルヘルムは作業机の引き出しから大判の冊子を取り出した。日にやけて変色した紙を開くと、最初のページにはヨーロッパを中心とした世界地図が載っている。
 閉じようとする地図の端へ適当に手近なものを乗せながら、ヴィルヘルムはオクルスの問いに答える。
「当然だ。花占いの本領は恋人探し、というか縁結びに特化したものだからな。だからまさか人間嫌いのお前を占うことになるとは思わなかった」
「……」
「ま、同情はしておこう。どうせ助手を持つのも周りがうるさいからじゃないのか? 魔面学なら無理矢理『使役』できるだろうが、可能な限り相性のいいやつを見つけてやりたいものだ」
「個人的には、死体を操ってしまうのが手っ取り早くて楽なのですが」
「それは助手どころか使い魔以下の捨て駒だろうが。頭一つで体二つを動かすのは手間だろう? 助手の利点は一定レベルの自律性だ。持てば分かる」
 オクルスは再びため息を返すしかない。
 一人での活動に慣れてしまったせいか、他人に介入されることにいささか以上の抵抗があるのは確かだった。ましてや『人間』など、本来ならば敵対者であっても視界に入れたくない。
 とはいえ、首領の言葉を無下にできないのはオクルスも同じだった。本心は表に出さず、言葉を濁す。
「そんなものでしょうかね」
「そんなものだ。さて、では花を選んでもらおうか」
「花?」
 地図を完全に開き終えたヴィルヘルムが、視線でオクルスの背後を指す。
 オクルスが振り返った先には、部屋の入口がどこにあったか分からなくなるほど密集した植木鉢と植物たちが溢れ返っている。一部は確かに花をつけていて、その色も種類も様々だ。
「適当に、直感でかまわない。目についたものを言ってみろ」
 思わず三度目のため息をつこうとして、オクルスは呼吸を飲み込んだ。
 可能な限り、手早く終わらせよう──占いも、助手探しも。そして、助手とうまくいかなければ、理由をつけて処分してしまえばいい。それで終わりだ。
 目についたのは、小ぶりな赤い花。
「では、それを」
「ほう」
 指で示すと、ヴィルヘルムは意外そうな顔をした。
 オクルスがその真意を問う間もなく、魔植学者はごまかすように儀式を開始する。
 植木鉢に歩み寄り、赤い花の一輪を摘まむと、詠唱が始まる。
「〈私は奪う。花が種となり、新たな命を芽吹かせる未来を私は奪う〉」
 オクルスは、想う。
 ──魔学とは略奪の技術だ。
 奪うのは未来の可能性。魔学という学問の根底には、本来たどるべき未来を都合よく歪めるという傲慢な思想がある。
「〈花は与えられた名に従い、意味に従い、求めるものへ道を示せ〉」
 灰色の指が花を摘み取る。
 オクルスが黙したまま見つめる先で、ヴィルヘルムは赤い花を持って作業机へ戻る。地図の中央に花を置くと、茶色くなった紙の上に赤がよく映えた。
 しばらく留まった花は、ふわりと浮いてプロペラのように緩やかな回転を始める。花弁を羽のようにして宙を滑る赤い花は、地図上をまっすぐ東へ。ユーラシア大陸を越えて極東の島国で止まる。
「随分、遠い」
 オクルスが愚痴るようにこぼすと、ヴィルヘルムは軽く肩をすくめた。
「俺が示せるのは行き先だけ。行くか行かないかは自由だ。行った方がいいとは思うがね」
「あなたがそこまで言うとは珍しいですね。なにかあるのですか?」
「本当に行く気があるなら教えるさ」
 口元だけで笑い、ヴィルヘルムは花を軽く払って地図の上から移動させた。
 バラバラとページを繰って、再び机の上に地図を広げる。今度は極東の島国、日本の地図だ。
 ヴィルヘルムが指で示すと、赤い花は再び地図の上へ。首都東京の近辺で止まる。
「飛行機に乗ればすぐだ。よかったな」
「すぐ、と言えるようなフライト時間になるかどうかは疑問ですね」
「首領が出してくれるだろう。プライベートジェットとか」
「……それは気の抜けない時間をすごせそうですね」
「で、行くのか?」
 ヴィルヘルムが指で地図を叩くと、赤い花は宙に浮いてオクルスの元へ飛ぶ。
 以降はこの花が直接道しるべになる、ということなのだろう。ヴィルヘルムは役目を終えたとばかりに地図をたたみ、引き出しへ戻す。
「首領の勧めですから」
「そうか。それなら見送ってやろう」
 もう一度、今度は出入り口に向けて、ヴィルヘルムは払うような動作をする。
 すると、視界を阻む蔦や枝がひとりでに動き、トンネルのような通り道を作り出す。先行するヴィルヘルムを赤い花が追い、その後ろからオクルスが続いた。
「なるほど、ここの植物はすべて使い魔ですか」
「そんなところだ。文字通り、間引かれた同輩を糧とした特別製さ」
「随分いい趣味ですね」
「『魔学の発展のためなら』。……ってね」
 不遜に、しかし冷徹に、大げさな口調でヴィルヘルムは言う。
「首領の言葉ですか」
「おや、分かったのか」
「口調はともかく、いかにも言いそうな内容です」
 白衣の肩が揺れる。
 押し殺した笑みをこぼしながら、ヴィルヘルムは出入り口の扉を開く。オクルスが入ってきたときに比べれば、かなり通りやすい復路だった。
 促され、オクルスは部屋の外へ。森の中から急に市街地へ出たような空気の変化を受け止めていると、オクルスの前に浮いていたはずの赤い花がヴィルヘルムの元へ移動していた。
 その花弁に、灰色の指が触れる。
「お前の主はそいつだ。しっかり役目を果たせ」
 言葉に応えるように、花はオクルスの元へ移動。胸ポケットに収まった。
 ターコイズブルーのテールコートに、赤く小ぶりな花はどう見ても不釣り合いだった。
「あぁ、そういえば。その花だが、名をゼラニウムという。大切にしてやれ。それと、とびきり大事なことが一つ──そいつが持っている花言葉だが」
 ヴィルヘルムは意味深に言葉を区切り、こらえきれないように笑みを浮かべた。
「『君ありて幸福』、だ。運命的な出会いを約束しよう。よい旅を」
 呆気にとられるオクルスの前で、木製の扉が閉められる。
 馬鹿馬鹿しい。最後のため息をついたオクルスに対し、ゼラニウムの花はくるりと上機嫌に一回転して沈黙した。
 十一月末。町の外へ出て人を探すには、あまりに騒がしい時期のことだった。


短編『仮面劇 MASQUE』前日譚
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NOX

「ノックス覚醒まで残り五分」

 平坦な女の声を聞きながら、レクレスは荒れ果てた市街地に突入した。

 極限まで抑えられたバイクのエンジン音は、風にかき消され、ヘルメットに遮断されて聞こえない。ただ、腰から伝わる振動からして、これ以上の速度が出せないことは明らかだった。

 かつて住宅街だった場所は、すでに廃棄されて久しい。

 管理されていない道のひび割れや瓦礫を考慮すると、現在の速度を出すだけでも十分危険な行為だった。

「眠り姫のお目覚めまでに間に合うかねぇ?」

 レクレスが問うと、ヘルメットのスピーカーから即座に返答。

「まず不可能でしょう。ノックスは眷属持ちです。交戦準備を」

「やれやれ、まずは取り巻きからか」

 嘆息混じりに言ったレクレスの視界で、鮮やかな赤が光る。

 フルフェイスヘルメットの内側に表示されたのは、廃墟の中の熱源反応──ドラゴン・ノックスの眷属たちの反応だ。

 反応は一つに留まらない。レクレスが道を進むにつれて、赤は次々と数を増やしていく。それが十五を超えたところで、赤色は一斉に姿を消した。搭載されたAIが、熱源反応の表示機能を切ったのだ。

 視界に残されたのは、相変わらずの廃墟群。

「手厚い歓迎だな」

 言いざま、レクレスは右手を腰の後ろへ。

 ホルスターに収めていた銃を抜く。

 同時、住宅を破壊して現れた一頭を皮切りに、次々と眷属たちが立ち塞がった。

 翼の生えた蛇の姿をした眷属は、まっすぐレクレスへ向かって突進。彼我の距離は急激に縮まっていく。

 その毒牙が届く前に、レクレスの右手が引き金を引いた。

 熱を排する白煙と共に、熱線が射出される。

 狙いを違えるようなヘマはしない。大きく開かれた眷属の口の中に吸い込まれたエネルギー弾は、体内を焼き尽くして消失。眷属は力を失ってレクレスの後方へ墜落する。

 屠った屍に目もくれず、レクレスの意識は次の標的へ。

 際限なく現れる眷属にエネルギー弾を撃ち続ける。

「覚醒まで三分」

「ノックスちゃんのアラーム止めといてくれよ、ダスク」

「いくら私が有能な人工知能でも、そのような機能はありません」

「だよなぁ」

 銃が吐き出す白煙の尾を引きながら、レクレスは荒れた道を走る。

 周囲の建物は徐々に高さを増し、居住よりも商業の色が強くなっていた。朽ち果て、植物が這った看板があちこちに落ちている。

 永らく打ち捨てられた、人間の生活の痕。しかし感傷に浸る暇はない。眷属たちはそれらを蹴散らし、休みなくレクレスに襲いかかってくる。

「ったく……邪魔、すんな!」

 連続でトリガーを引いた銃身から、大量の白煙が噴出する。

 周囲の眷属を一掃して、レクレスは視線を上に向けた。

 遠く、ひときわ高い建物の先端に、巨大な影が居座っていた。

 オブジェと言うには生々しく、禍々しい。

 それは、四肢と翼を丸め、深い眠りについた漆黒のドラゴン──ノックスだ。

 全身を縛る鎖が、胸元に固定された時計に繋がっている。

 針が指す時刻は一一時五九分。

 とはいえ、時計が表す時刻は現実のそれではない。

 ノックスの時計が一一時五九分を指したのが確認されたのは、今からおよそ一週間前なのだから。

「残り三十秒」

 ダスクの合成音声と共に、ヘルメットの内側へカウントダウンが表示。

 レクレスは銃をホルスターへ戻してバイクのギアをあげる。

 加速したバイクは道路のひび割れで跳ね、細かな瓦礫を蹴散らしていく。バイクに搭載したAI・ダスクの補助はあるものの、レクレスの姿勢制御ひとつですぐさま破綻する走りだ。

 警告音が鳴る。

「切れ」

「あなたに死なれては私が困るのですが」

 不満を口にしながら、ダスクは指令を遂行。

 再び静けさを取り戻したヘルメットの中で、レクレスが舌打ちする。

「できれば封印中にぶっ殺しておきたかったんだがなぁ」

 その視界では、ノックス覚醒のカウントダウンがゼロを示していた。

 カチリ、とドラゴンに抱えられた──ドラゴンを戒めていた時計が針を進める。

 ぴくりとも動かなかったノックスが、そこで初めて身じろぎした。

 次いで、時計から伸びた鎖にひびが入る。

 黒い体を揺り起こし、ノックスはついに目を開いた。虹彩は、うろこよりさらに深い黒。

 形を持った影のような姿を前にして、レクレスの口元は笑みを作っていた。

 本当に「楽しんで」いるのか、それとも恐怖をごまかすための笑みなのか、レクレス自身にも判別がつかない。

「二〇年と五ヶ月の封印期間終了。暗夜の黒竜〈ノックス〉の覚醒を確認しました」

 坦々と、ダスクは告げる。

 二〇年と五ヶ月。

 それは、過去の人類が「ノックス」と名付けたドラゴンを倒すのに必要と判断した時間だ。

 技術が進歩すれば、全てのドラゴンは打ち倒すことができる。

 であれば、現代の技術で倒せないものは、都市ごと封印して未来に託そう──時計を用いた時限式の封印は、ドラゴンとの戦いを諦めない人々が抱く希望の結晶である。

「能力値測定──完了。再封印の必要はありません。廃棄都市の奪還を開始してください」

 ダスクの言葉と共に、ノックスの体を戒めていた鎖が砕け散った。

 飛来する鎖の欠片を避け、レクレスはさらにノックスへ接近。ほとんど真下に来たところで、ノックスが丸めた全身に力を入れるのが目に入る。

「ダスク、援護頼む!」

 レクレスが要請した直後、ノックスは翼を広げざまに咆哮。

 大気が振動する。空気の塊が圧になって襲いかかる中、それでもレクレスはブレーキを握らなかった。

 どころか、ハンドルすら手放す。

 後方に向けて飛び降りたレクレスは、代わりにバイクのボディに埋め込まれた『柄』を掴む。勢いを殺すことなく抜刀されたのは、細身の長剣。

 さらに、走り続けるバイクは構成する金属を流動させていく。

 搭載されたダスクの指令の元、液体金属の流動性を取り戻したボディはもうひとつの姿──砲身の形をとる。

 レクレスが着地する頃には、バイクだったものは自律移動砲台に姿を変え、最適な射撃位置への移動を開始していた。

 剣を肩に担ぎ、レクレスは黒竜を見上げる。

 視線の先で、天を仰いでいたノックスが顔を下に向ける。闇を凝縮したような漆黒の瞳と、目が合ったような気がした。

 スモークガラスの風防を跳ね上げる。

「久しぶりだなぁ、ノックス」

 睨むレクレスの瞳は、光を束ねたような黄金色だった。

「返してもらうぜ、この町をよぉ」


#指定された曲のイメージでお話書く

Clockwork Dragon

「トミーまだー?」
 不満げに急かす声は二つ。きれいに重なって足元から聞こえてきた。
 その口調と外套を引っ張ってくる動作から、明言されなくても不満だというのはよく分かるのだが、今は紅茶を所望されて仕方なく火をつけたばかりのところだ。
「急かしても水は沸かない」
「はーい」
 やはり揃って応える声に視線を向けると、足元にまとわりつく子供はすでに二人だけでこそこそ話し合っている。
 前に一度、鎌を背負っているときに外套で遊んだのを注意して以降、この二人──アディとエミィは「鎌を持っていなければ外套で遊んでもよい」と学んでしまったらしい。
 それこそ「移動する秘密基地」くらいの扱いを受けているような気もする。
「ねぇねぇトミー」
「今度はなんだ」
「今日誕生日だからお菓子もほしい」
「そういうことは一週間前に言え」
 秘密基地より都合よく使われているような気もする。
 左右からブーイングが聞こえてくるが、残念ながらここでの食糧管理について自分は一切の権限を持っていないのでどうにもならない。明らかな人選ミスだ。
 というより……部屋から出た途端に足元に飛びついてきて、誕生日だからというよく分からない理屈で紅茶を要求し、キッチンまで外套を引っ張って来ている辺り、子供らしくその場の勢いで動いている感が否めない。人選とかいう問題でもないのかもしれない。
 とりあえず追加要求は聞かず、最初に要求された紅茶だけ準備を進める。
 ティーポットが一つとカップが二つ。さらに茶葉を出そうとしたところで、
「あっ待って」
「葉っぱはこれがいい」
 追加リクエストとして外套の合わせから出てきたのは、無地の紙袋だった。
 風を使って受け取ると確かに茶葉らしく軽いが、かと言って葉だけ用意済みというのも違和感があった。そもそもどこで手に入れたのか、と思いながら袋の口を開けると、まず飛び込んできたのはブドウの香りだった。
 しかし、中に乾かした実が入っている様子はない。一見すると、普通の茶葉と同じようにしか見えない。
「【世界】がくれたの」
「『しさくひん』なんだって」
「……それは本当に大丈夫なのか」
 とは言ったものの、「果物の風味を持った茶葉」の噂なら、まれに聞くことがあった。
 思えば、「葉に果実の風味を持たせる代わりに、肝心の果実に毒を含む」……という道楽の極みのような植物の開発に、あの【世界】が絡んでいないはずもなかった。
 不信感は増すが、袋からポットに移すだけでも強い果実の香りを放つ葉は、いっそ本来食用だった果実よりも意識に与える刺激が強いようにも感じる。外套の中にいたアディとエミィも、隙間から顔を出してそわそわと落ち着かない。
 丁度よく沸いた湯を通すと、香りの強烈さは多少和らぎ、代わりに蒸気に運ばれて部屋に広がっていく。
「さすがにそこで飲むつもりはないよな?」
 念を押すように言えば、アディとエミィはすぐに外套から飛び出した。近くのテーブルセットに向かう背中を追って、ポットとカップを運ぶ。
 カップはおとなしく椅子に座った二人の前に。葉が開くのを待つのも辛い、という様子の二人に紅茶を注いでやると、思ったよりも明るい色が流れ出た。
「誕生日おめでとう」
 揃ってティーカップを持った二人は、そっくりな笑顔を浮かべていた。



月景さん(@thukinashi26)宅 アディさん&ヴェーギルさんのお誕生日SS。
キュートとほのぼのの極みのような各種元ネタ
 恐ろしいほどに寝覚めがよかった。
 悪夢に叩き起こされる日々が続いていたからかもしれない。泥沼から引きずり出された意識が体に戻ってきたような、ほどよい倦怠感すら伴う朝は久々のことだった。
 このまま倦怠感に任せていてもよかったのだが、幾分冴えてきた頭が違和感を訴えてくる。
 まず、気温は低くなるばかりの季節だというのに、妙に暖かい。
 そもそも、自分のものではない呼吸音がする。
 というか、隣で誰かが寝ている。
「────っ!?」
 後先を考える間もなく、ほとんど反射的に上半身を起こした。冷たい空気が身に沁みる。
 案の定直後には血が不足した頭が痛みを発して、耐えている間に隣の誰かが身じろぎ。どころか、掛けていた布団まで引っ張って、
「……………………さむい」
 不満げに言って二度寝の姿勢に入る。
 いや待て。
「起きろ」
 とっさに出した膝は、感触からして相手の腰骨に当たったらしい。
 うー、とうめく声を聞きながら、一応周囲を確認する。いつも通りの視界。問題なく自室だった。
 振り返って見れば、布団の下からうめき声とともに出てきたのは赤みがかった黒い髪だった。前髪が長すぎて、顔の右半分は見えない。残った左半分も、目元をこする手でほとんど隠れてしまっている。
 顔立ちは分からない。だが、知り合いだった。
 アディ。異世界から来たと自称する、殺しが嫌いな殺し屋。
「あ、おはよう十三番」
 ──には見えないのが現状だが。
 気の抜けたというか、力の抜けたというか、とにかく隙だらけの笑顔を浮かべる姿は、やはり第一印象と合致しない。
 少なくとも今目の前にいる人物は、考えるより先に、本能的に戦闘態勢に入ることを強いられるような相手ではない。
 二重人格を疑ってもいいところだったが、今はそんなことより重要なことがあった。
「あぁ、おはよう。で……アディ、なんでここにいるんだ」
 二つの意味で。
「え? だって一緒に寝たらあったかいよ?」
「…………」
「それに、なんかすごい寒かったし」
「………………今ものすごく頭を抱えたい気分だ」
 頭痛がするのは気のせいだろうか。
 アディの第一印象との差異は広がるばかりで、まるで留まる気配を見せない。
 むしろ第一印象が誤っていた──というか、特殊な状況下にあったと言った方がいいのか。
 第一印象がなくても、見た目と発言の差異が大きすぎるのだが。
 おまけに、頭に柔らかい感触。
「なんだそれは」
「えっと、クマさん?」
 視線だけそちらに向けると、茶色いぬいぐるみが見えた。
 見覚えがない。というか、「クマ」からは想像できない、見るからに子ども向けのぬいぐるみだった。察するに、アディの私物か。
 そのぬいぐるみの腕で頭を撫でているつもりらしい。
 振り払うのもためらわれてそのままにしていると、アディが先に口を開いた。
「夜、うなされてたね」
「────」
 思わず顔を上げると、ぬいぐるみと一緒に手をひっこめたアディがこちらを向いていた。
 初めて直接見た瞳は、血の色をしているくせに優しい。
「よく眠れた?」
「……すさまじく」
「じゃ、一泊分のお返しはできたかな」
 前回の意趣返しだ、とでも言うように、アディの顔は誇らしげだった。
 ただ、このままでは少しばかり割に合わない。
「朝の紅茶くらいは淹れてやる」
 安眠代は、一泊の宿代より高い。



ハッシュタグ #朝起きたら隣りによその子が寝ていたときのうちの子の反応

月景さん(サイト:はんだごて)とうちの十三番でコラボ2
 へのリターンでした。
アディさん聖母尊い

 眼下には鬱蒼と茂る森が広がっていた。
 落下しているというのに内臓が持ち上げられるような感覚を覚えるのは、慣性かなにかの影響だろうか。意地汚くその場に留まろうとする俺の肉体を、重力は遠慮なく掴み、引き寄せてくれる。
 自殺行為。けれども必要な「身投げ」だった。
 上方、崖の上で急制動をかける馬のいななきが聞こえる。
 次いで落ちてくる砂や小石。どうやら追っ手は、かなりギリギリのところで止まったようだ。
 ヒトの枠などとうに超えた身ではあるものの、騎馬に追われれば追いつかれるのは時間の問題。だから身投げをする羽目になったのだが、落下地点に木や水などはなく、下草がいくらか生えている程度のようだ。このまま落ちれば当然、ただでは済まない。
 身をひねり、肩甲骨から生えた白骨の腕を振るう。掴んだ大鎌の刃を岸壁に突き刺し、落下速度を減衰。
 ガリガリガリガリ! とけたたましく崖を削る刃は、どうにかブレーキの役目を果たしたらしい。着地するころには、軽く膝を曲げるだけで吸収できる衝撃しか残ってはいなかった。
 ひとまず馬の足は止めた。しかし、逃走中の身に頭上を確認する暇はない。
 岸壁から鎌を抜き、まずは次の経路を探すために周囲を改めようとしたところで、
「──誰?」
 問いが投げられた。
 なにかを押し殺すような、低く抑えられた声だった。
 一般人か、と即断するも、安心することはできない。
〈十三番〉の名を背負ったときから諦めていることではあるが、今の自分の姿はお世辞にも人間らしいとは言いがたい。
 肌は青白いを通り越して白く、眼球はすべて黒く塗りつぶされ、肩甲骨から生えた巨大な腕は白骨の身で構成されている。
 生身の両腕を失った身としては便利な「腕代わり」なのだが、そんなことを知る由もない他人からすればバケモノか、よくて死神のように見えるわけで。
 つまり、無駄な戦闘か、あるいは悲鳴を浴びることを覚悟しなければならない。
 ──はずなのだが。
 今回ばかりは勝手が違った。
 覚悟する暇もなく、体が動く。白腕が鎌を持ち上げる。
 そう命じたわけでもないのに、臨戦態勢を整えている。
「……?」
 理性は疑問符を浮かべていたが、肌からは冷や汗が噴き出ていた。
 声のした方へゆっくりと振り返ると、思ったより背の高い人影が佇んでいる。高い身長と体格の良さから男だと思われるが、とにかく赤黒いという色彩的な印象がまず強い。
 原因は黒いコートだろう。遠目からでも血が染みついているのが分かるのは、死の匂いを嗅ぎとる大アルカナ【十三番】のせいだろうか。次に、顔の右半分を隠す暗い赤毛。濃い色付き眼鏡までかけているから、肌の色がほとんど見えなくなっている。
 その、眼鏡の奥。
 元の色さえ判別できない瞳と視線が合った瞬間に、理性が体に追いついた。
 殺意と呼ぶには純粋すぎるモノが、その目に宿っている。
 殺人欲求? 生ぬるい。もっと根本的な、ともすれば生物的な──殺人衝動とでも言った方が正しい。
 問うた声が低く抑えられていたのは、死神のような俺の姿に恐怖しているのだと思っていた。
 違う。彼は自分の衝動を押し殺している。
 となれば、彼はこの場にいるべきではない。おそらく、追っ手は既に俺の現在位置を知り、向かっているはずだ。
 奴らは対話を受け入れず、理性をもって俺を殺しに来る。追いつかれてしまえば、戦闘を避けることはできない。殺人衝動らしいなにかを抑えている人間にとって、小規模とはいえ戦場という環境は厳しすぎるはずだ。
 俺に向けて殺人衝動を発散させていない時点で、庇うだけの理由は成立する。
「殺しをしたくないと思っているなら」
「!」
 色付き眼鏡の奥で、目を見開いているのが窺えた。
「逃げ──」
「いたぞ!」
 俺が最後まで言い切るだけの間もなく、荒げた声が言葉を遮った。
 方向は左。声が聞こえる距離ではあるが、まだ遠い。
「急げ。奴らに話は通じない」
 続けて言い捨て、赤黒い男に背を向けて声のした方へ向かい直す。
 こちらに向かってくる足音は二〇人程度。「聖歌隊」としてはそこそこの規模だが、俺一人を殺すために派遣されたとなればかなり多い部類に入る。
 全員が、病的に白い長衣をまとっている。潔癖すぎる白はあまりに人工的で、森の中ですさまじく目立つ。
 だから、こちらが追う身になれば、殺すことはおそらく容易だ。
 近づくことさえできれば。
「〈これは神の怒りである〉」
 短い斉唱。
 後に続いて、腹に響く轟音。
 白い集団を始点として、地面と水平に走る雷が炸裂する。
 直撃すれば人一人程度消し炭にする一撃を、かろうじて受け止めるのはアルカナの【十三番】の力だ。抑制に停滞、腐敗に抑圧──雷を押しとどめるだけの象徴と意思をあるだけ込める。
 体の前に構えた大鎌の刃の先で、雷が止まる。
 ただし、それだけ。
 自然現象ならば即座に消えるはずの雷光は、衰えることなく圧を加えてくる。
 バチバチと弾けるような音の向こうで、いまだ聖歌が続いているのが聞こえた。
 厄介なことに、相手は俺に対しての対抗手段を確立しつつある。過去に何人か仕留めそこなった残党が、情報を持ち帰っているのだろう。
 死神の姿で動揺を誘う術など、とうに使えない。現に、相対している今だって、聖歌に微塵の乱れも見られないのだから。
 どうするか、と思案していると、隣で土を踏む音。
 視界の端で赤黒い色が揺れて、思わずそちらに目を向ける。
「……きみは」
 低く抑えられた声が、雷の音に紛れながらも届いてきた。
 その表情は、赤毛に遮られて見ることができない。
 あくまで穏やかに、言葉は続く。
「あの人たちが死んだら、助かる?」
 数瞬、呼吸が止まる。
 不意を突かれた。雷を止める防壁が崩れなかったのが、自分でも不思議なくらいだ。
 死神のような姿を拒絶せず、あろうことか協力を申し出てくる人間など、今まで一人もいなかったのだから。
 視線を前方に戻す。
 雷の圧力は、いまだ衰える気配がない。
 鍛えられた聖歌隊の喉は、この程度の時間経過でガタがくるほど脆いものではないらしい。
「……あぁ、そうだな」
 そう返すと、隣で安心したように息を吐き出す音。
「じゃあ、これは依頼ということになるのかな」
「謝礼が必要ならいくらでも」
「あ……いや、そういう意味じゃ」
「冗談だ」
 払うものは払うが。
 しかし、殺人衝動を理性で抑えているはずなのに、殺人の依頼を受けるなどと言ってくるとは。否、それほどまでに、衝動が強いということか。
 見れば、彼の右手は既に刃物を掴んでいた。
 斬るより突くことに特化した、錐のような形状。
 視線を上げると、彼もこちらに顔を向けていた。色付き眼鏡に雷の閃光が反射して、表情を覗うことはできない。
「僕はアディ」
 呆気にとられる間もなく。
「えっと……一応、依頼になるなら名乗っておいた方がいいかな、って」
 そう言われてしまえば、苦笑を返す他ない。
 随分と久しぶりに、人間らしい会話をしているような気がする。
「〈十三番〉だ。そう呼ばれてる」
 今度は、赤黒い男が──もとい、アディが呆気にとられる側だった。表情がほとんど見えないのに、きょとん、としているのが分かるのは、地が表情豊かだからなのだろうか。
 実際、名前らしい名前を聞いたわけでもないのに、すぐ後には「うん、よろしく」と言ってのけるあたり、あまり深くは考えていないような気もするが。
 ともかく。
 まずは、足止めされている現状を打開しなければならない。
「奴らの集中を切らせば、この雷は止まる」
 努めて簡素に説明すると、アディはこくりと頷いて応えた。
 しかし、最短距離を貫くルートは雷の荒れ狂う危険地帯。森の方から隠れて進み、背後を突くのが得策だろう。
 と、思ってはいたのだが。
「それなら、すぐにできそうだね」
 なんでもないことのように言うアディが、二、三歩後ろに下がる。
 問い直す時間は与えられなかった。
 足裏から微震を感じるほどの衝撃と共に、アディの体が加速。
 低く沈めた姿勢から一気に跳びあがり、勢いそのまま岸壁を走る。眼下で雷が炸裂しているにも関わらず動きに鈍りはなく、最後には崖を蹴ってそのまま白服集団の元へ突っ込んでいった。
「……な」
 呆けた声が自分の口から出たものだと気づくのに、しばしの時間を要した。
 思わず防衛のための力すら緩むが、それは向こう──白服集団も同じこと。衰える様子のなかった雷が勢いを弱め、絶えることのなかった聖歌は悲鳴と怒声が入り混じっている。
 雷の残滓を切り払うと、白服集団に一点、赤黒い異質が紛れていた。
 アディだ。
 あの移動方法の最中、標的を吟味することができたのかは不明だが、集団の中心にいた人物が最初の犠牲になっていた。
 赤黒いコートの背中に隠されているが、白服の体はぶらりと揺れ、足が地面から浮いているように見える。
 後ろに向かって投げ捨てるように、アディは白服を──死体となったものを解放。
 死体は顎の下から血を噴きながら地面に落ちる。白い服が赤く染められていくのが遠目に見えた。
 いっそ生物的と言った方が正しい殺人衝動。その発露が、これか。
 大鎌を片手に近づいていくと、生き残った白服集団はにわかに慌てだした。おそらく最初の被害者は集団の中心人物で、指揮者のような役割を担っていたのだろう。
 とはいえ、その指揮者がいなくなったとして、「信仰心」さえ持ち直しさえすれば、もう一度雷を呼ぶことはできる。
 持ち直す暇を与えるほど甘い人間が、ここにいればの話だが。
「…………」
 アディは無言で、次の標的へと向かっていった。
 二人目、三人目と殺していくたびに、刃物が振るわれる回数が増えていっているようにも見える。抑制が効かなくなっていくのか、あるいは鮮血に誘われるのか。刺す回数が多くなればなるほど、まき散らされる赤の量が増え、相手の戦意をことごとく削いでいく。
 アディ一人でも充分に殲滅できそうではあるのだが、それはこちらが手を抜く理由になりはしない。
 唯一平静を取り戻したらしい白服が、護身用らしい短剣を掴んでいる。目の前の脅威に気を取られすぎているのか、こちらを警戒する様子がない。
 残った距離を二歩で詰め、大鎌を振り抜く。身を守ることを想定していない長衣はたやすく裂け、袈裟懸けに肉と骨を断つ。
 振り返ったアディに視線を向けると、前髪で隠れていない左頬が濡れていた。返り血を薄める透明な液体は、涙か。
 それを見とめられたのは刹那の間だけで、互いに敵意のない者へ目を向ける暇などない。
 中心人物を亡くし、どうにか逆襲しようとした者すら喪って、白服集団に反撃の意志はないようだ。
 だからといって、刃が鈍るはずもない。
 血生臭い戦場は、さらに血色の深さを増していく。


     *


 白服集団の殲滅に、それほど時間はかからなかった。
 気づけば立っているのは俺とアディの二人だけ。そこらに転がった血肉からは、さっきまで聖歌やそれに伴う超常現象を起こしていたことなど感じられない。
 終わったか。そう思った途端、頭上から馬のいななきと蹄の音がした。
 アディと出会う直前、撒いたと思っていた追っ手だ。どうやらあの後、聖歌隊から離れた場所でこちらの様子を覗き見ていたらしい。
 またこちらの情報を知られることになったが、追いつく相手ではない。この際仕方のないことだと思って諦める。
 問題は、アディか。
 俺の仲間である、などという誤情報が伝わる可能性もある。加えて、さっきまでの苛烈さが、急激に消え去ってしまったことが気になった。顔を拭う動作にも力がない。
「移動しよう。別の追っ手が来ても困る」
「あ……うん」
 声をかけられてどうにか反応を返す、という体のアディ。
 この場に留まるのが得策でないのは明白で、血の匂いは俺でも酔いそうなくらいに濃い。
 とにかく見晴らしの悪い方へ──森の中へ進んでいくと、独特な土の匂いがどうにか死臭を薄めていってくれる。拭いきれないのは返り血だけで、それも偶然見つけた水辺がどうにか解決してくれそうだった。
 浴びた血を軽く洗い流すと、アディも多少は落ち着けたらしい。俺も大雑把に鎌の刃から血を拭い、ベルトで体に固定。得物を背負ってしまえば、白骨の腕も必要なくなる。
 解放したままにしていた【十三番】の力を抑えると、肩の後ろから生えていた腕が消える。
 死神らしくなっていた外見の要素は、ほとんどが通常の人間らしく元に戻る。骨のような色をしていた肌は肉の色を取り戻し、眼窩のようになっていた目も治っているはずだった。
 ただ、とある事情で失った両腕だけは、どうしても戻ってくることがないのだが。
「……あれ」
 顔についた血を落とし、色つき眼鏡をかけなおしたアディが振り返って動きを止めた。
「〈十三番〉、だよね?」
 眼鏡の奥で目をまばたきさせるアディ。
 背筋を凍らせるような殺意はどこにもない。これが、彼の素なのだろうか。
 ともかく、肩をすくめて応える。
「意外と普通の外見で驚いたか?」
「……ちょっと」
 ためらいながら言ったあと、アディは困ったように笑いながら言った。
「やっぱりリトはすごいな」
「?」
 話の流れは分からないが、今は保留しておくべきか。
「とにかく、巻き込んで悪かった。謝礼というか、報酬の話だが、」
「あ、それなんだけど」
 血を洗い流すために屈んでいたアディが、立ちあがってこちらに向き直る。
「たぶんだけど、僕、違う世界から来てるんだと思う」
 意味を飲み込むのに少し時間がかかったが、理解できないことでもない。
 アディが抱えているらしい殺人衝動と、それを拒否する理性。たとえばどちらかを強制的に個人の中に埋め込むとして、魔術の原理でも奇蹟の原理でも必要なのは象徴だ。そして、殺人衝動を司りそうなものは、見た限りではアディの中にはなさそうだった。
 しかし、違う世界。
「その発想がある時点で、文化圏が大きく違うようにも思えるな」
 世界そのものを司ろうと考えた元人間なら知っているが。
「それはリトが……えっと、違う世界から来た子を知ってるからなんだけど……ちなみに、ここってニホンじゃないよね?」
「ニホン? 地名か?」
「ううん、国の名前。つまり……リトの世界とは違うところなんだね」
 別世界は少なくとも二つ存在する、ということか。
 上機嫌に【世界】が踊りだすイメージが浮かんだ。奴がいたら、嬉々として話を反らしていったことだろう。たとえば、アディが知っている世界の話だとか。
 あるいは、自ら別世界を創りだすなんてことを言い始めるだろうか。
「なら報酬は、金貨よりも元の世界に戻る方法がいいということか」
「まぁそうだけど……あるの?」
「おそらくは」
 仮定を挟み。
「ここでの法則が適用されるなら、アディも魔術が使えるはずだ」
「さっきの雷みたいなのが出せるの?」
「やろうと思えば」
 そう言うと、アディは見るからにやる気を出して、こちらに身を乗り出してくる。どころか、心なしか色付き眼鏡の奥の瞳が輝いているようにも見える。なぜだ。
「言っておくが、帰り道を探す魔術から雷は出てこないぞ」
「えっ」
「むしろかなり地味な部類だ。過度な期待はするな」
 視覚的な話はともかく。
 必要なものは細長い棒状のもの。自分となにか関係のあるものだとなおよし。と伝えると、アディは迷うことなくコートから錐を取り出した。
 先ほど使っていたものとは違うらしいが、十分すぎるくらいには使いこまれているように見える。用途について言及すべきではないだろう。
「それじゃあ、錐の切っ先を地面に軽く刺して、帰りたい場所を思い浮かべてくれ。会いたい人でもいい」
「リト」
 アディは即答すると、跪いて言ったとおりに地面に錐を刺す。
「さっきも聞いた名前だな。どんな人だ?」
 これは、イメージの補助。
 魔術の発動は意思の強さで決まる。
「小さくて、ふわふわしてて、ぎゅってしたら暖かくて」
 小動物か? とは言わないでおく。
 こちらでは、アディはかなり高身長な部類だ。彼より小さい人間だってたくさんいるだろう。向こうの世界が──いや、そのリトという人物の住んでいた世界が異常でなければ。
「……絶対に、会いたい人」
「錐から手を放せ」
 言い終わるかどうか、というところで、アディは即座に号令を実行する。
「あれ?」
 アディの視線の先で、支えを失った錐は震えながらも直立していた。錐自身が、倒れる方向を考えているようにも見える。
 次第に、錐の柄尻が円を描き始めた。
 どう考えても物理的ではない動きに、アディが慌てて数歩下がる。
「な、なにかまずいことした?」
「いや、成功だ。最終的に錐が倒れた方向に、帰りたい場所がある」
 本来なら、自分にとって必要なものを探すための魔術なのだが。
 何回か円を描いたあと、錐はぱたりと呆気なく倒れた。
 水辺に沿って、もう一度森の中へ戻る──先ほど戦った場所から離れる方角だ。
「向こうに行けばいいってこと?」
「しばらく進んだら、また同じことをやって方角を修正していけばいいだろう」
 普通に倒れるようなことがあれば元の世界に戻れているのだろうが、その先を保障することはできない。
 倒れた錐をおそるおそる掴み、アディが立ちあがる。
「ありがとう、〈十三番〉」
「こちらこそ、アディ」
 短い会話を交わすと、アディは錐が指した方向へ走って行った。
 後ろ姿は家路を急ぐ子供そのもので、殺し屋や殺人鬼のような空気をまとっていたとは思えないくらいだった。
 赤黒いコートを見送ってから、反対の方向を見遣る。
 理性は白服集団の残党狩りをするべきだと言っていたが、そんな気分になれないのもまた事実。
 目下の問題だった、敵の主力部隊を殲滅できただけでも良しとするべきか。
 ひとまず、拠点としている場所へ戻るべく、アディが向かった先とも、白服集団のいた場所とも違う方向へ足を進めた。
 帰ったら【世界】から詳細な報告を求められるだろうことだけは、覚悟しておかなければならないが。



ハッシュタグ #景さん(サイト:はんだごて)のアディさんとうちの〈十三番〉(『No.13』)でコラボさせてもらいました

月景さんのイラストはこちら
プロフィール
HN:
射月アキラ
性別:
女性
自己紹介:
一次創作・オリジナルなファンタジー小説書き。
普段はサイトで好き勝手書き散らしているが、そこでページ作るのもめんどいと思ったらこっちで好き勝手書き散らす。短い話はだいたいこっちに投げられる。
褒めても喜びけなしても喜ぶ特殊体質。
ついった:@itukiakira_guri
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